2011年2月23日水曜日

文藝 昭和23年1月号

1948


誌 名 文藝 昭和23年1月号
通 巻 第5巻第1号
発 行 河出書房
発行日 昭和23年1月1日
編集人 杉森久英
発行人 藪下茂
発行所 東京都千代田区神田小川町318
印刷人 小坂孟
印刷所 大日本印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全82ページ(口絵4ページ含む)
定 価 30円

【ひとこと】うっかり見落とすところであったが、表紙絵の下部、うぐいす色の敷物に、MCMXLVⅢという文字列がみえる(画像の上でクリックすれば拡大できます)。しらべたところ、M=1000、C=100、L=50、X=10、V=5、Ⅲ=3を意味することがわかった。すなわち、文字列をルールにしたがってよめば、これは1948、西暦年をあらわしていたのだ。前号はすこし見にくいが、末尾はⅡで1947であった。花森安治の遊びごころが、こんなふうに隠れているのを見つけるのも、またよろこばしからずや、ですよね。

ところで、『文藝』での花森の表紙は、3回かぎりであった。杉森久英はそのてんまつを、やはり『人間の鑑賞』にこのように書いている。
——約束の日に届いた図柄は、(中略)まるで西洋の古道具屋の店先でも見るような意匠のものであった。筆者はこの画が大いに気に入ったが、外部の評判はあまりよくなかったし、社内でも、強硬に反対する空気があった。筆者も、わざわざ反対を押し切ってまで、彼の表紙を続ける必要があるとも思わなかったので、三号で打ち切った——

杉森の著書に『大政翼賛会前後』(文藝春秋、1988年刊)がある。そこでも花森についてふれた箇所があるが、はなはだ感じの悪いかきかたをしている。翼賛会の興亜局につとめていた杉森が、ある日大失態をえんじ、宣伝部にわびてまわったときのことだ。すでに戦局はゆきづまり、花森は文化動員部の副部長にまでかつぎあげられていた。
——花森は、まだ戦後『暮しの手帖』で有名になる前で、私が頭を下げると、あの手焼きセンベイのような、モンゴル系の先祖を思わせる顔を横に向けて、にやりと笑った——

表紙をかいてくれとたのんだのは、編集人の杉森久英であった。大失態をえんじ、職場内外に大きな迷惑をかけたのも、おなじ翼賛会職員の杉森久英であった。あいての表情をうかがいながら、それで頭をさげたといえるか。「オレは悪くない」と、顔にも行間にも、書いてある。だれだって苦笑せざるをえまい。杉森はじぶんでオトコを下げている。しごとは評価できるが、その人品を、小生はいまだに好きになれぬ。