2010年12月29日水曜日

青春の回想 津村秀夫

1946

青春の回想 ウラ表紙

書 名 青春の回想 ー文藝叢書ー(3)
著作者 津村秀夫
発行人 田宮虎彦
発行日 昭和21年8月15日
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通6丁目14番地
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 B6判 平綴じ 表紙見返し付 本文158ページ
定 価 10円

【ひとこと】 文藝叢書の表紙は、すべて特色の2色刷りだが、けっして貧相ではない。花森はインキがのらない白の部分をいかして、絵を3色で描いたようにみせる。工夫なのだ。花森がつくった標語ではないけれど、なにごとも「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」のだろう。

【お知らせ】ことしの更新は、きょうを最後とします。あわただしい年の瀬にブログをごらんいただき、ありがとうございました。来年は元旦からスタートです。どうぞお元気で、あたらしい年をお迎えください。

2010年12月27日月曜日

竹夫人 井上友一郎

1946
竹夫人 ウラ表紙

書 名 竹夫人 ー文藝叢書ー(2)
著作者 井上友一郎
発行人 田宮虎彦
発行日 昭和21年5月15日
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通6丁目14番地
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 B6判 平綴じ 表紙見返し付 本文112ページ
定 価 8円

【ひとこと】井上友一郎は『都新聞』の記者をへて作家になった。作品はバラエティーに富む。花森安治は、井上の著書ではほかに『寝室の思想』『銀座川』の装釘もしている。それらはいずれこのブログでごらんにいれたい。井上は、花森がすきだった上方落語家、桂春団治をえがいた『あかんたれ一代 春団治無法録』の著者でもあった。大阪育ちの井上と神戸育ちの花森は、たがいに馬が合ったのかもしれない。

2010年12月24日金曜日

煙管 新田潤


1946

煙管 ウラ表紙

書 名 煙管 ー文藝叢書ー(1)
著作者 新田潤
発行人 田宮虎彦
発行日 昭和21年4月10日
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通6丁目14番地
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 B6判 平綴じ 表紙見返し付 本文136ページ
定 価 8円

【ひとこと】花森安治らしい装釘である。文藝叢書全5冊に共通しているが、ウラ表紙にもその特質がよく出ていて、なんだかトクをした気分になるといえば大げさか。花森の熱のいれようが伝わってくる装釘だ。
まったくの余談だが、家具の絵をみておもいだした。岐阜県高山の家具メーカー飛騨産業が商標としてつかっている「飛騨の家具」は、花森安治の描き文字である。しかし松本民芸家具専売店の「花森家具」は、印象にのこる商標だし気にもなるが、花森安治の作ではない。

2010年12月22日水曜日

文明 八月号

1947
表2

誌 名 文明 昭和22年8月号
通 巻 第2巻第5号
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通六ノ一四
発行日 昭和22年8月1日
発行人 田宮虎彦
編集人 田宮虎彦
目次画 花森安治
印刷人 中田末男
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全68ページ
定 価 15円
 
【ひとこと】表紙は前号と色ちがい。 目次のデザインを少し変えた。花森安治の目次画のおさまりがいい。余白が生きている。本文レイアウトにも花森らしさが感じられるようになった。下は随筆ページだが、このゆったりしたレイアウトは、戦時中にでた生活社の『婦人の生活シリーズ』や、『文明』の後からでる『暮しの手帖』を、おそらく想い起こさせるのではないだろうか。

 
文明8月号

2010年12月20日月曜日

文明 七月号

1947
表2

誌 名 文明 昭和22年7月号
通 巻 第2巻第4号
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通六ノ一四
発行日 昭和22年7月1日
発行人 田宮虎彦
編集人 田宮虎彦
目次画 花森安治
印刷人 中田末男
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全52ページ
定 価 10円

【ひとこと】4月発行の前号「緑陰小説特輯」から 2カ月あけて月刊化した。このころ日本の紙不足はきびしく、用紙割当委員会によってページ数をへらされている。配給制なのだ。「実際の所四八頁では雑誌の形態を整へるために異常な苦心を要する」と、この号から編集をたすけた小島輝正が、田宮虎彦にかわって編輯後記にかいている。目次を表 2にのせているのも苦心のあらわれだが、デザインがすっきりしてきた。

2010年12月17日金曜日

文明 緑陰小説特輯

1947
表2

誌 名 文明 緑陰小説特輯
通 巻 第2巻第3号
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通六ノ一四
発行日 昭和22年4月20日
発行人 田宮虎彦
編集人 田宮虎彦
目次画 不明
印刷人 中田末男
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全124ページ
売 価 25円

【ひとこと】 表紙が目次になっている。Hのサインがあるから、表紙絵が花森安治の作であることは確かだが、作者名は誌面のどこにも記載されていない。2色刷の表紙で、この号もスミ文字の小説特輯が、緑色の誌名ロゴよりも大きい。さらに奇妙なのは、表2(表紙のウラ)も同じ文字組の目次になっていることだ。花森のセンスを知るものからすれば、やはりこれは理解にくるしむであろう。表紙の絵と文字は、それぞれが存在を主張し、その役割をたがいにそこないあっている。

2010年12月15日水曜日

文明 秋季小説特輯

1946

文明 秋季小説特輯 目次

誌 名 文明 秋季小説特輯
通 巻 第1巻第8号
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通六ノ一四
発行日 昭和21年10月1日
発行人 田宮虎彦
編集人 田宮虎彦
目次画 花森安治
印刷人 中田末男
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全164ページ
売 価 10円

【ひとこと】田宮虎彦の「編輯後記」に胸をつかれる。「政治といふものは所詮民生の安定への努力以外の何ものでもない。(中略)それは誰もが主張し、誰もが努力してゐることであらう。しかも、尚、人民が行くべき目途を定め得ず、道義はいよいよ衰へつつあるのは何が原因であらうか。政治の貧困といつた様な答は、安易な思考の落ち着く逃げ場所である。(中略)貧困な政治を生んでゐるところの我々自体の中に究明のメスを加えねばならぬのである」
——作家のペンに、希望のひかりを託していた時代があった。闇を照らすべきランプを、わたしたちは今、持っているだろうか。

2010年12月13日月曜日

文明 銷夏読書

1946

誌 名 文明 銷夏読書(6・7合併号)
通 巻 第1巻第4・5号
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通六ノ一四
発行日 昭和21年7月1日
発行人 田宮虎彦
編集人 田宮虎彦
目次画 不明
印刷人 中田末男
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全132ページ
売 価 6円

【ひとこと】「編輯後記」に田宮虎彦がこう書いている。「第五号を編輯し終つて、いささかの感慨がある。昨年終戦後のことであつたが、当時上諏訪にゐた私に先輩某氏からこの雑誌の編輯を引き受けてみないかといふ便りがあつた。この社の社主櫻井馨氏と会つたのは九月はじめである。(中略)この社の営業部面は、櫻井商事株式会社の専務である服部隆壽氏が全面的に担当し、私は単に編輯のみに専念してゐるのである」(原文正字正かな)。ちなみに日本読書新聞社の『昭和21年度版最新出版社執筆者一覧』にも、櫻井馨は文明社の代表者として掲載されているが、どのような素性の人物であったのだろうか。

2010年12月10日金曜日

文藝春秋 春の増刊 各界スター読本

1954

誌 名 文藝春秋 春の増刊 各界スター読本
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和29年4月5日
発行人 池島信平
編集人 田川博一
目次画 横山隆一
印刷人 柳川太郎
印 刷 凸版印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全200ページ
定 価 75円(地方売価78円)

表4(ウラ表紙)
表1&4

【ひとこと】本号には、「文壇論壇毒舌採点集」のタイトルで、大宅壮一、浦松佐美太郎、河盛好蔵、高橋義孝、臼井吉見の 5人が「文化界の花形を一堂に集めての点数授与式」なる余興をたのしんでいる。花森安治もマナ板の上にのせられた。だれの発言か伏せる形式になっている。以下、評言のすべて。
—— 才人という点では相当の才人だと思うな。
—— 頭がいいよ。
—— 苦労人だよ。
—— この頃パーマをやめて、スカートやめて、ズボンになつたでしよう。白粉もやめたろう。いまに男装するよ(笑声)
—— あれは非常な常識家が大変な演出をやつたということですね。
—— 逆説的な演出ですよ。彼程逆説的な男はない。模範的な逆説ですよ。いまや八十点でしよう。

【おまけ】ちなみに本号では「軽評論家群像」のタイトルで、扇谷正造も「何が何だか分らぬのでスター」の一人として花森安治をあげ、編集者にしては一風変わった経歴を方程式にしてみせた。
花森安治=X(服飾評論家+女装的男装+福永官房長官よりも著名な松江高校の出世頭?+余白+パピリオ+チラリチクリ……)

【お知らせ】『座談』および『文藝春秋増刊』は、今回でおわりです。次回更新(12月13日)より、田宮虎彦の文明社刊行の雑誌と書籍をごらんにいれます。

2010年12月8日水曜日

文藝春秋 秋の増刊 秋燈読本

1952
誌 名 文藝春秋 秋の増刊 秋燈読本
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和27年10月5日
発行人 池島信平
編集人 田川博一
目次画 三雲祥之助
印刷人 柳川太郎
印 刷 凸版印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全192ページ
定 価 70円

表4(ウラ表紙)
表1&4

【ひとこと】大宅壮一は、文藝春秋の池島信平、週刊朝日の扇谷正造、暮しの手帖の花森安治の 3人を「ジャーナリズムの三羽ガラス」とよんだ。 それほど3人の活躍がめだったからである。なぜか。
扇谷は、週刊朝日を 150万部にのばした名編集長だが、その発展成長期の週刊朝日をみると、花森は多くの記事とカットをかいており、編集部の一員もしくは相棒ではないかと見まがうほどである。
いっぽう佐佐木茂索とともに文藝春秋を再興した池島は、新社の司令塔というべき存在であり、出版界で無名にひとしい花森安治に活躍の場を与えた。雑誌の表紙のウラおもてを描かせ、広告までも描かせ、さらに誌面のカットやコラムにまで、花森の作らしきものが見てとれる。
三羽ガラスとよぶよりも、 3人と 3誌は「三頭立て馬車」のように一体となって、戦後日本のジャーナリズムをリードしていた観がある。

2010年12月6日月曜日

座談 昭和24年2月号

1949
誌 名 座談 昭和24年2月号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和24年2月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 三雲祥之助
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全88ページ
定 価 50円

【ひとこと】池島信平は著書『雑誌記者』で、『座談』は失敗であったと書いている。内容が『文藝春秋』の二番煎じになったことを失敗の理由にあげたが、あとをついだ編集人の鈴木も苦労したであろう。企画立案者の枠組から自由になるのはむつかしい。表紙に目次をいれたからといって、他誌をまねて美人画にしたからといって、SEX 記事をのせたからといって、ひとは買うわけもないのだ。足かけ 3年で廃刊となった。花森が『座談』すべての表紙を描いていないのは確かだが、これが最終刊の表紙となったのか、つかみきれずにいる。

2010年12月3日金曜日

座談 昭和23年12月号

1948
誌 名 座談 昭和23年12月号 第2巻第11号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和23年12月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 落合登
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全70ページ
定 価 40円

【ひとこと】昭和23年 1月26日、帝国銀行椎名町支店でおきた毒物殺人事件が、この表紙絵のモチーフになっている。高田保、火野葦平、名刺の松井蔚、弁護人の山田義雄らの寄稿、生存者の村田正子と容疑者妻の平澤まさの手記、朝読毎 3紙担当記者の座談会がのっている。しかし、いまこれらを人権擁護の立ち位置からよむと、おもいは複雑だ。「ひとの痛みがわかる人間であれ」と、花森安治はつね日ごろ言っていた。
 創刊から 1年をへて表紙に変化がおきている。記事の目玉をのせるようになった。屋上屋を架す仕儀ではあるまいか。

【おわび】座談10月号の表紙で、花森安治が Nürnberg と書いていたのであれば、まちがいではありませんでした。それにしても、なぜ『ニュルンベルク年代記』だったのでしょうね。

2010年12月1日水曜日

座談 昭和23年10月号

1948
誌 名 座談 昭和23年10月号 第2巻第9号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和23年10月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 澤田正太郎
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全70ページ
定 価 35円

【ひとこと】花森がすきなランプではあるが、Amon fatiという見なれぬ語句が、なにやら怪しげな印象をあたえる。悪魔の運命と訳すのだろうか。ランプの上に描かれている町の絵の下に、きわめて小さな字で、
N6rnberg nach Hartmann Schedel 1493としるしているのも、おもわせぶりだ。 Nurembergの綴りや語順をまちがえている。目次をみても結びつきそうな内容はない。たわむれにしては謎めかしていて、どこか引っかかるところが、花森安治の巧妙さかもしれない。 

2010年11月29日月曜日

座談 昭和23年9月号

1948
誌 名 座談 昭和23年9月号 第2巻第8号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和23年9月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 芹澤銈介
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全70ページ
定 価 35円

【ひとこと】池島信平の著書に『編集者の発言』(暮しの手帖社、1955年)がある。そこに「座談会について」と章をたて、編集者のこころえを、わかりやすくのべている。座談記事にかぎらず池島の発言は、滋味あふれ芳醇だ。菊池寛はじめ作家たちの追想も、たのしい。絶版にしているのが、もったいなくおもえる。花森安治の『暮しの手帖』は、この年この月20日、創刊された。

2010年11月26日金曜日

座談 昭和23年8月号

1948

誌 名 座談 昭和23年8月号 第2巻第7号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和23年8月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 宮田重雄
印刷人 大橋芳雄
印刷所 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全70ページ
定 価 30円

【ひとこと】誌名が『座談』であれば、対談鼎談はもとよりさまざまな座談記事でいっぱいの印象をあたえるが、そんなことはない。毎号一篇か二篇である。英字でTOPIC MAGAZINEとあるように、そのときどきの事件や話題に取材した記事が主体である。しかし座談をよびものにしようという意図は、たとえば創刊号の「阿部定・坂口安吾対談」にあきらかで、その後「輪タク車夫街頭座談会」「婦人記者座談会」「浮浪児座談会」というふうに敗戦後の社会世相をうつした座談会が企画されている。ジャーナリズムの表舞台に、識者や著名人ではない人びとを登場させ発言させたところに、出版人の反省と志がある。

2010年11月24日水曜日

座談 昭和23年6月号

1948

誌 名 座談 昭和23年6月号 第2巻第5号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和23年6月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 脇田和
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全68ページ
定 価 28円

【ひとこと】一般雑誌の表紙に、道具や日常雑貨を描きこんだのは、おそらく花森が最初ではないか。ペンチ、ハサミ、ひげそりブラシ、ビアマグ、フライ返し(ハエたたき?)らしきものまで描かれているが、こんなふうにレンガの壁に雑然とかけている家があるわけもなく、雑誌の内容とも関係がない。しかし、手であつかう道具ばかりであることが、「敗戦国再建」の新しい息吹を感じさせる。

2010年11月22日月曜日

座談 昭和23年5月号

1948

誌 名 座談 昭和23年5月号 第2巻第4号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和23年5月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 小穴隆一
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全68ページ
定 価 25円

【ひとこと】22年暮れ発行の1月新年号から翌年の4月号まで、蒐集できないでいる。その間に、発行人は池島信平のままだが、編集人は鈴木貢にかわったようだ。池島は新雑誌のお膳立てをすませるや、鈴木にあとをまかせたのではないか。そこに池島と花森の気質のちがいがうかがわれるし、雑誌づくりの危うさもある。その意味については、後にふれたい。表紙の時計と鍵、ランプとともに花森は好んで描いた。いずれも機械工芸品で、職人わざの粋がある。

2010年11月19日金曜日

座談 創刊号のオビについて

1947

【ひとこと】創刊号には「オビ」がついていた。ごらんのように、特集の目玉は阿部定と坂口安吾との対談で、これをオビに強調した。憶測であるが、オビをつけることには、花森安治と池島信平のあいだで、お互いぎりぎりの意見交換があった筈である。花森はオビをつけることをきらっていた。オビによって、せっかく描いた表紙が、かくれてしまうからである。オビで釣るつもりなら、表紙絵は無用ではないか。

花森は池島に条件をつけて譲歩したのだろうか。オビの右端に、小さな但書がよめる。すこし見づらいが「お買い上げの方は此のビラをお捨て下さい」とある。職人花森のプライドであろう。
花森安治は、これとほぼ同じ趣意の但書を、24年後の昭和46年刊行の自著『一銭五厘の旗』のオビにそえている。 ちなみに当時はオビのことを「腰巻」とも言った。その呼称を下品だと、花森はオビそのものよりさらに嫌っていた。



 
【哀悼】黒岩比佐子さんのご冥福をお祈りいたします。
黒岩さんはブログ『古書の森日記』で2006年5月22日〜26日まで、暮しの手帖創刊号から第5号までとりあげ「花森安治の表紙画を眺めているだけでも楽しい」と書いてくださいました。若くして本の目利き、読み巧者、こころやさしい文筆家を、失いました。ざんねんです。合掌

2010年11月17日水曜日

座談 昭和22年12月創刊号

1947

誌 名 座談 昭和22年12月創刊号 第1巻第1号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和22年12月1日
発行人 池島信平
編集人 池島信平
目次画 岡鹿之助
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全66ページ
定 価 18円

【ひとこと】池島信平著『雑誌記者』(中央公論社)には次のように書いてある。
「…昔の『話』の代りに戦後『座談』という雑誌を出したが、(中略)このときの編集で思い出すのは、表紙に、当時無名であった花森安治君に乗り出してもらったことで、草創期の「暮しの手帖」社の小さな部屋に、彼を訪れて頼んだのが、初対面である」。
花森より2歳上の池島も東大(文学部西洋史学科)出身。在学中つき合いのなかった後輩のところに表紙をたのみに出向いた池島の、編集者としての人物を見る目のたしかさと自負が、この一節からうかがえる。

2010年11月15日月曜日

週刊朝日別冊 昭和32年第6号 炉辺読本

1957

誌 名 週刊朝日別冊 昭和32年第6号 炉辺読本
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和32年10月28日
編集人 扇谷正造
目次画 小倉遊亀
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ

【ひとこと】花森がかく絵の多くは、対象がデフォルメされている。それゆえ花森は、対象を正確にえがく写実力に欠けているとおもわれがちだ。しかし小学生のとき、かいた絵が正確緻密で、親にかいてもらったと先生に疑われた、というエピソードが伝わっている。精神科医にしてエッセイスト、現代ギリシャ詩の翻訳でも知られる中井久夫は、花森に「直観像資質」を感じるという。眼で見たものを、そのまま写真のように記憶でき、それを表現できる才能らしい。画家にかぎらず、頭の中の将棋盤に駒をさす棋士、頭のなかの譜面に音符をかく作曲家もいるように、空間認識にすぐれた人びとは、さまざまな分野で活躍している。

【お知らせ】今回をもって、『週刊朝日』および同別冊の表紙篇をおわります。なお、いままでの表紙をスライドショーにまとめました。
http://www.youtube.com/watch?v=NoZXq8Ynj9k
 次回(11月17日)より、文藝春秋新社刊『座談』および『文藝春秋増刊』の表紙篇をご紹介します。

2010年11月12日金曜日

週刊朝日別冊 昭和32年第5号 秋季特別読物号

1957

誌 名 週刊朝日別冊 昭和32年第5号 秋季特別読物号
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和32年8月28日
編集人 扇谷正造
目次画 福田豊四郎
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円 

【ひとこと】向井潤吉、松野一夫、宮田重雄、横山隆一、鈴木信太郎、岡部冬彦、生沢朗、横山泰三、佐藤泰治、木下二介、高沢圭一、近藤日出造、茂田井武、猪熊弦一郎、三田康、鴨下晁湖、田代光、高野三三男、小磯良平、風間完、木村荘八、福田豊四郎、石川滋彦、伊勢正義、山本武夫、江崎孝坪、中尾進、御正伸、新井勝利、中一弥、伊藤善、野口昂明、阿部展也、桜井浜江、杉本健吉、清水崑、三芳悌吉。
花森が表紙をかいた別冊の、本文に挿絵をかいていた画家の名まえを列挙してみた。挿絵の専門家のみならず、著名な洋画家、日本画家、漫画家までもが内容にそって挿絵をかいている。ため息がでてしまう。

2010年11月10日水曜日

週刊朝日別冊 昭和32年第4号 涼風お楽しみ読本

1957

誌 名 週刊朝日別冊 昭和32年第4号 涼風お楽しみ読本
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和32年6月28日
編集人 扇谷正造
目次画 東山魁夷
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】 別冊の目次は両観音開き。目次まわりを飾っているのが目次画。お気づきのように、錚々たる画家に描いてもらっている。花森が表紙をかいた号だけでも、宮本三郎、初山滋、清水崑、三田康、寺田竹雄、田辺三重松、高野三三男、小絲源太郎、中村岳陵、山口蓬春、東山魁夷、福田豊四郎、小倉遊亀という豪華な顔ぶれ。だが表紙は、目次画と本質的なちがいがある。表紙は絵であって絵ではない。書店にならんだとき、ひときわ客の目をひき、その手にとらせ、買わせるパワーを必要とする。「表紙はポスターである」と花森が看破したゆえんである。花森安治は、雑誌の表紙に思想をあたえた編集者であった。

2010年11月8日月曜日

週刊朝日別冊 昭和32年第3号 新緑特別読物号

1957

誌 名 週刊朝日別冊 昭和32年第3号 新緑特別読物号
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和32年4月28日
編集人 扇谷正造
目次画 山口蓬彦
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】花森が足繁くかよった店の一つが銀座の天賞堂。鉄道模型を買うためである。花森は、知る人ぞ知る鉄道模型のコレクターであった。模型だけではない。鉄道そのものが好きで、電車が走るようすを8ミリに撮ってたのしんでいた。昭和47年<国鉄百年祭に>寄せた花森の詩がある。大沢隆男が曲をつけて『レール』という歌になった。

百年たってみて いろいろやってきて 結局わかってきたことは 鉄道とは 人間を運ぶものだったということではないか それを 儲け第一に考えるのが なにか合理的なことと考え違いして ずいぶん人間を粗末にしてきた 人間を大切にすれば 赤字を出してあたりまえだ 明日から百一年だというではないか あたまの路線を敷きなおし あらためて笛を吹き 汽笛を鳴らすときだ 出発進行!(日本音楽協議会『うたのひろばⅤ』所収)

2010年11月5日金曜日

週刊朝日別冊 昭和32年第2号 傑作時代小説集

1957

誌 名 週刊朝日別冊 昭和32年第2号 傑作時代小説集
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和32年2月28日
編集人 扇谷正造
目次画 中村岳陵
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】花森にしてはめずらしい風景画。校庭からおおぜいの子どもたちの歓声が聞こえそうだ。昭和22〜24年生まれの子どもが学齢に達した。教室がたりないくらい小学校に児童がいた。堺屋太一が「団塊の世代」と名づけた子どもたちである。現在、その子どもたちも還暦をむかえた。施設と働き手がたりなくて、介護を受けられない老人たちが巷にあふれる日が、すぐそこに来ているのではないか。

【お知らせ】いつも「花森安治の装釘世界」をごらんいただき、ありがとうございます。 おそれいりますが、今月から拙ブログの更新日を毎週月・水・金曜日の3回とさせていただきます。更新時刻は、いままでどおり午前6時です。この後ともよろしくお願い申しあげます。

2010年11月3日水曜日

週刊朝日別冊 昭和32年第1号 新春・お楽しみ読本

1956

誌 名 週刊朝日別冊 昭和32年第1号 新春・お楽しみ読本
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和31年12月10日
編集人 扇谷正造
目次画 小絲源太郎
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】このころ暮しの手帖社は西銀座にあった。戦争で焼け残ったビルの3階1室を借りていた。まわりは高級クラブやキャバレーがひしめいて、夕暮れともなれば、華やかに着飾った女性たちが、アリの巣にすいこまれるように雑居ビルの中へと消えていった。ときは神武景気。師走のイブ、銀座の路地では兵隊のようにサンタ姿がくりだし、そこかしこで客集めをしていた。この年の経済白書は「もはや戦後ではない」と記している。楽しげな絵なのに、どこか悲しい。

2010年11月1日月曜日

週刊朝日別冊 昭和31年第6号 特集日本映画

1956

誌 名 週刊朝日別冊 昭和31年第6号 特集日本映画
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和31年10月10日
編集人 扇谷正造
目次画 高野三三男
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】婦人のプラカードにある「太陽族映画」とは、この年に封切られた日本映画『太陽の季節』『処刑の部屋』『狂った果実』のことで、ともに石原慎太郎原作である。いまでは想像もつかないが、当時はこれが公序良俗をみだすと社会問題にまでなった。けれど慎太郎裕次郎兄弟は、旧態に挑むそのかっこよさで世の若人を大いに魅了した。都知事をつとめるお兄さんは、老いてなお血気盛んである。ちなみに当時の日本映画は封切館で100円。国民娯楽の雄であった。

2010年10月30日土曜日

週刊朝日別冊 世界探検冒険読物号

1956

誌 名 週刊朝日別冊 世界探検冒険読物号
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和31年8月10日
編集人 扇谷正造
目次画 田辺三重松
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】花森安治は、好んでランプを描いた。珠玉のような色とりどりのランプが、エキゾチックな雰囲気をかもしだす。花森の口調をまねれば、「部屋のランプをともす。ほのかにゆれる柔らかなあかりが、あなたを遠い未知の異境へといざなう。夜ごとくり広げられるシェヘラザードの物語、あなたは夢中で『アラビアンナイト』の世界に遊ぶ」。
——いかがです、今宵はパソコンを離れ、月の沙漠の王様になった気分で、たのしい冒険小説を読んでみませんか。

2010年10月28日木曜日

週刊朝日別冊 初夏特別読物号

1956

誌 名 週刊朝日別冊 初夏特別読物号
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和31年6月10日
編集人 扇谷正造
目次画 寺田竹雄
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】「…トビ口に目をくっつけただけのような、頭もアゴもない、鳥類だか人類だかわからない、ふしぎな人物の漫画があちこちに載るようになって、彼はいつのまにか、時代の脚光を浴びる人気者になった」と、杉森久英が書いている(『人間の鑑賞』所収)。顔の下半分に口とアゴがつけば、アメリカの雑誌『ニューヨーカー』で活躍したスタインベルグが描く漫画に、似ていなくもない。ボンネをかぶり、傘をささずにパイプをくわえている人物が、きっと花森本人なのだろう。とぼけた感じで味のある肖像画になっている。

2010年10月26日火曜日

週刊朝日別冊 昭和31年第3号

1956

誌 名 週刊朝日別冊 昭和31年第3号 漫画と読物
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和31年4月10日
編集人 扇谷正造
目次画 初山滋
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】昭和30年『婦人公論』2月号に石垣綾子が「主婦という第二職業論」を発表すると、4月号では坂西志保が「主婦第二職業論の盲点」で反論し、家庭における主婦のおかれた立場について、「識者」たちが侃々諤々の論戦をはじめた。いわゆる第一次主婦論争である。それにさかのぼる昭和28年7月、六興出版発行の『小説公園』に、花森は「女性家畜説」を発表していた。人権について、女性じしんの自覚と奮起をうながしこそすれ、主婦をおとしめたり、家事を軽んじたりはしていない。
明治44年のきのう、花森安治は、やさしかった母から生をうけている。

2010年10月24日日曜日

週刊朝日別冊 昭和31年第2号 

1956

誌 名 週刊朝日別冊 昭和31年第2号 特集漫画と読物
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和31年2月10日
編集人 扇谷正造
目次画 三田康
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】花森安治の表紙絵には、洋書や英字新聞が描かれているものがある。港町神戸に生れ育った花森は、小学校同級の田宮虎彦とおなじように、幼くして西洋人と交際があり、『宝石』昭和33年3月号での江戸川乱歩との対談によれば、クロフツの推理小説を好み、旧制松江高校時分から原書で読んでいたという。花森の絵がバタくさいと評されるのは、そのおいたちから来るのであろう。エスプリを感じさせる。

2010年10月22日金曜日

週刊朝日別冊 昭和31年第1号 迎春お笑い読本

1955

誌 名 週刊朝日別冊 昭和31年第1号 迎春お笑い読本
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和30年12月10日
編集人 扇谷正造
目次画 清水崑
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】表紙から、画題がなくなるとともに、<表紙の言葉>欄もなくなっている。絵に語らせていることを、さらに作者が語るのもおかしなもので、前掲した花森のことば通りなのだ。
見るがわの想像にゆだねられると、日本の父親の心象風景がうかぶ。イブにサンタになってプレゼントをやっても、またすぐ正月にはお年玉をやらなくてはならぬ。「ぼくにもくれよ」と言いたい。でも、口に出して言えないんだなあ、これがーー。花森曰く「ホンネは弱音だ」。
この絵で注目したいのは、誌名ロゴに特集タイトルの文字を重ねているところ。花森のデザインにしては異例である。

2010年10月20日水曜日

週刊朝日別冊 昭和29年第3号

1954「朝の食卓」

誌 名 週刊朝日別冊 昭和29年第3号 特集ニュース・ストーリー
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和29年8月10日
編集人 扇谷正造
目次画 初山滋
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全164ページ
定 価 70円

<表紙の言葉>「朝の食卓」・・・花森安治じしんの解説
「朝の食卓」などと、キザな題をつけましたがね、実は、題など、なんでもいいはずなのです。表紙というのは、これは一種のポスターだ、というのが、ボクの意見ですからね。しかし、食卓といってもいろいろあります。まあ、この雑誌の出るのが八月半ばということだから、つまり暑いさかりと思わねばならぬ。そういうときは、どうです、まず「朝の」食卓とでもすれば、すこしは、爽やかな感じがするかもしれん、といったアサハカな気持が動きましてね。なんのことはない、猫の傍に竹を描いて、猛虎之図といったのが、田舎の旧家の床の間にかかったりしている、まあ、あのたぐいですね。だから、ヘタな絵にかぎって、キザな題をつけたがることになってしまうのです。恐縮です。

【ひとこと】状態がよければ、あざやかな食器の色づかいが白地に映えて、朝の食卓にさしこむ夏のあかるい陽光さえも感じられるにちがいない。さわやかな音楽が、いまにも聞こえてきそうな花森安治の構図がみごとなだけに、とても残念。

2010年10月18日月曜日

週刊朝日別冊 昭和29年第2号

1954「たのしい酒」

誌 名 週刊朝日別冊 昭和29年第2号 初夏読物号
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和29年6月10日
編集人 扇谷正造
目次画 宮本三郎
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全164ページ
定 価 70円

<表紙の言葉>「たのしい酒」・・・花森安治じしんの解説
酒は飲めないが、酒をのむ人とムダ話をしている時間は、たのしさ限りない。生れつきが、たいへんなおしゃべりの性だから、相手がシラフだとあとでいつもイヤになるほど、こちらがひとりでしゃべりまくる。その点、すこし向うが飲んでいるくらいが、ほどほどにつり合いがとれるからだ。そんな酒は、だから注文をつけさせてもらうと、洋酒の方がいい。日本酒ショウチュウの類は、こんどは向うが度をすごして、もてあましてしまう。

【ひとこと】本誌は週刊だから<今週の表紙>、別冊は隔月刊だから<表紙の言葉>としたようだ。
花森は「生れつきが、たいへんなおしゃべり」と言っている。談論風発であった。相手をうませなかった。池島信平は「ラジオだけに出ていても、メシを食える人間である」と評したが、花森は口だけでなく、なにより手を動かしていなければおれないタチの人間であった。花森は心筋梗塞にたおれて以来、タバコをやめ、酒席をさけるようになった。ひとを嫌いになったわけではない。

2010年10月16日土曜日

週刊朝日 昭和29年9月5日号

1954「九月のカレンダー」

誌 名 週刊朝日 昭和29年9月5日号
発 行 朝日新聞社
編集人 扇谷正造
判 型 B5判 中綴じ 表紙共全84ページ
定 価 30円

<今週の表紙>「九月のカレンダー」・・・花森安治じしんの解説
これは、表紙にはちがいないが、もちろん絵ではない。表紙は、なにも絵でなくてもいいではないか、というのは、もとより三文画工の表向きの強がりで、ありていにいえば、これは、月々、仕事場の壁にはりつけてあるカレンダーの一枚である。でき合いのこよみは、デザインより、第一文字が小さすぎて、日限り仕事に追われる身には、ちと間に合いかねる。そこで、忙しい忙しいとこぼしながら、毎月のはじめ、クレヨンで、こよみを一枚描いて、前月のと取りかえるクセがついた。もっとも、そのクセを、この雑誌にまで押しつける気は毛頭ないのだが……。

【ひとこと】本号には『岩堀喜之助という男・百万雑誌「平凡」の秘密』と題する記事が掲載され、花森の談話として岩堀評がのっている。岩堀はマガジンハウスの創業者であり、戦時中、大政翼賛会宣伝部で花森と机を並べた旧知の間柄である。
「こりゃ『ハモニカ』だね。ハモニカの好きな年ごろ、そのレベルを完全にキャッチしたのが『平凡』だ。ハモニカ級はいままで世間で大事にされたことがなかった。それを、押しつけちゃいけないが、対等にあつかい、尊重していくような顔つきで接すると、こりゃウケるのが当たりまえだ。事実、岩堀を見ていると、九〇パーセントまでは本気でハモニカ級の友達になっているからね。これが大切だ。インテリはだまされやすいが、ハモニカ級は動物に近い本能で、かぎわける。岩堀はインテリの分からないハモニカ語を理解できる。一つは中国の宣撫工作で覚えたテクニックかもしれない。シリにツギの当った背広をきたり、住宅でも社長は最後でいいという考え方、これをキザとは思わないが東洋的モラルの岩堀趣味だ」。
ーーまるで花森じしんのことを言っているようだ。 

2010年10月14日木曜日

週刊朝日 昭和26年7月8日号

1951「絣<かすり>」

誌 名 週刊朝日 昭和26年7月8日号
発 行 朝日新聞社
編集人 扇谷正造
判 型 B5判 中綴じ 表紙共全56ページ
定 価 30円

<今週の表紙>「絣<かすり>」・・・花森安治じしんの解説
物心ついてから、もめんというもの、明け暮れに馴れもし、なじみもしている筈でいて、はじめて眼にしみ骨身にしみて美しいと思ったのは、例の空襲のどれかの朝、泥まみれのゲートルの足で、あわや踏みつけようとして拾い上げた、焼けのこりの唐桟縞の端っきれ。鮮かな藍のいろが、なまじ痛々しいほどで、以来もめんは、わが絵となり、わが文字となった。田を作るすべも知らず、さりとて、文字を並べて詩にならず、絵具をこねて画にもならぬ、おろかな才をなげきたい折々は、ちびたチャブ台の隅に、もめんぎれをならべてわずかに遊びもするのである。所詮は、侘しい日本の暮しの片隅で、ほそぼそと吹いてみる、いわば歯のかけて、音色もたどたどしいハーモニカのひとふし、これを詩といい、画とよぶ思い上りは、もとよりありません。

【ひとこと】表紙コンクール参加作品である。
週刊朝日はこの年、5月13日号から8月19日号まで、15人の画家に表紙をかいてもらい、読者にどの表紙が好もしかったか投票させ、順位を競わせた。投票者には抽籤で、高額賞金にくわえて原画を贈った。ちなみにコンクールに参加した画家は掲載順に、小磯良平、佐藤敬、岩田専太郎、東郷青児、小絲源太郎、木下孝則、児島善三郎、宮本三郎、花森安治、宮田重雄、林武、三岸節子、猪熊弦一郎、荻須高徳、岡田謙三。なかで独り絵をかかなかった花森安治に、編集者としての節度とはじらいを感じるのだが、結果やいかに。

2010年10月12日火曜日

週刊朝日 昭和26年2月25日号

1951「青い洋燈」

誌 名 週刊朝日 昭和26年2月25日号
発 行 朝日新聞社
編集人 春海鎮男
判 型 B5判 中綴じ 表紙共全56ページ
定 価 20円

<今週の表紙>「青い洋燈」 ・・・花森安治じしんによる解説
清才女のあけぼのは一向におぼえぬ方だから、春は青、それも浅春のうすら冷えの底にうごく気配を、年々四季の第一の感情となつかしんでいる。絵具をもてあそんで、しかも、なにやら時のごときものをうたい出そうと色をこねくるのだから、絵になるわけはない。あかい簞笥も、あおい洋燈も、かべもふすまも、所詮は下手な詩のひとふし、絵とみないで詩とみてください。
それにしても、出来の悪い、がたぴしとした三文詩だ。