2011年4月29日金曜日

黄色い部屋の謎 ガストン ルルー 水谷準 訳

1956


書 名 黄色い部屋の謎 世界推理小説全集4 
著 者 ガストン ルルー
訳 者 水谷準(1904ー2001)
発行人 小林茂 
発行日 昭和31年3月31日
発 行 東京創元社
発行所 東京都新宿区新宿小川町1−16
印刷者 中内佐光  
判 型 三五判 上製無線綴じ 本文264ページ 函入り
定 価 180円


ウラ表紙
奥付

【ひとこと】訳者の水谷準は、早稲田大学文学部フランス文学科卒。前回紹介した延原謙のあとをついで『新青年』の編集長をつとめている。『新青年』は博文館が発行した雑誌で、戦前から国内外の探偵小説を発表して人気をあつめ、江戸川乱歩をはじめ日本の探偵小説作家が活躍した舞台でもあった。水谷は同誌の懸賞に応募して作家デビューをはたしている。なお、本全集のタイトルは『黄色い部屋の謎』だが、『黄色の部屋』としている本もある。書名はちがえど訳文はおなじ。


函 オモテ
函 ウラ

【もうひとこと】巻数は若いが、こちらが後発。月報に江戸川乱歩、戸板康二、花森安治による鼎談の続編がのっている。ところがこの鼎談、「推理小説について」と大上段の見出しをかかげながら、最後までまとまりのない印象をいなめない。それでいて花森の推理小説本についての装釘論だけが記憶にのこる。純文学と大衆文学という色分け(優勝劣敗意識)がつよかったころで、推理小説は低俗という通念を、花森は装釘によってこわしたかったにちがいない。


月報  江戸川・戸板・花森による鼎談(二)

2011年4月27日水曜日

殺意 フランシス アイルズ 延原謙 訳

1956


書 名 殺意 世界推理小説全集20 
著 者 フランシス アイルズ
訳 者 延原謙(1892ー1977)
発行人 小林茂 
発行日 昭和31年3月25日
発 行 東京創元社
発行所 東京都新宿区新宿小川町1−16
印刷者 浅野剛  
判 型 三五判 上製無線綴じ 本文234ページ 函入り
定 価 180円


ウラ表紙
奥付

【ひとこと】訳者の延原謙は、昭和初期より海外探偵小説の翻訳家として知られ、コナン・ドイルやアガサ・クリスティの作品を日本に紹介した。名探偵シャーロック・ホームズやエルキュール・ポアロの名を、日本の探偵小説ファンに広く親しませたのは延原の功績と言ってよいが、『新青年』という当時モダンな雑誌の存在も大きかったであろう。ちなみに延原謙は昭和3年、横溝正史のあとをついで、『新青年』 の第3代編集長になっている。

花森安治は本全集の装釘で、一巻ごと函と表紙の色、書名の書体と大きさを、かえている。


函 オモテ
函 ウラ

【もうひとこと】全集には月報がついている。本書の月報は下掲のとおり、江戸川乱歩、戸板康二、花森安治による鼎談。花森安治の発言の冒頭部分をよめば、そのパーソナリティがわかる。だれもが関心をもちそうな「みやげ話」を用意し、耳をそばだたせておいて座談を展開してゆく。乱歩と戸板は、もっぱら聞き手にまわる。後記の「編集室より」によれば、鼎談の内容は、二回にわたって月報で紹介されるのだが、一部分とことわっている。雑誌かなにかに全容が掲載されたのだろうか。

月報  江戸川・戸板・花森による鼎談(一)

2011年4月25日月曜日

教祖の文學 坂口安吾

1948

書 名 教祖の文學 
著 者 坂口安吾(1906−1955)
発行人 草野貞二 
発行日 昭和23年4月20日
発 行 草野書房
発行所 東京都杉並区松ノ木町1115
印刷人 石井精一郎
印刷所 安信舎印刷株式会社
判 型 B6判 上製平綴じ 本文口絵共294ページ
定 価 100円


目次
奥付

【コメント】精神錯乱に陥ったときの幻覚のような、いささか異様な雰囲気の表紙である。あるいは「毒」を含んでいると言ってもよい。

目次からわかるとおり、書名の小林秀雄論にはじまり最後の短篇小説まで、坂口安吾の考え方やもち味がよく出た作品集ではあるが、内容をよく咀嚼せず丸のみすると、毒気にあたるだろう。

花森安治の表紙は、当世ならR18指定とでもいうのだろうか、「お子さまは読んではいけません」と警告しているような気がする。むかしのお子さまは小生もふくめ純情であった。毒といわれると、なぜかなめてみたくなるもの。狂言『附子』の如し——そう思いませんか、御同輩!


ウラ表紙 大きな瞳が安吾に似ている

【もうひとこと】坂口安吾が鬱状態におちいり、克服のために語学勉強にうちこんだことが知られている。佛教に関心をもちサンスクリット語やパーリ語、チベット語のほか、ラテン語やフランス語もまなび、成績は優秀であったという。そのことを知ってか花森は、表紙や背、扉に、何語かえたいの知れない言語を書きならべている。小生には読みとれないが、アホだ下品だ泥棒だ、という意味のことばが隠れているような気がするのだが、いかが。ラブレーの影響かしら。

表紙全体

2011年4月22日金曜日

肉體の文學 田村泰次郎

1948


書 名 肉體の文學
著 者 田村泰次郎(1911−1983)
発行人 草野貞二 
発行日 昭和23年2月10日
発 行 草野書房
発行所 東京都杉並区松ノ木町1115
印刷所 日本紙工印刷合資会社
判 型 B5判 上製平綴じ 本文口絵共290ページ
定 価 100円


扉(蔵書印あり) 
奥付

【ひとこと】シュルレアリスムっぽい絵を版画ふうに仕立てた表紙。扉の描き文字もふてぶてしく、あたかも「肉食系男子」を表現しているようだ。このエッセイ集は、田村泰次郎のこんな感慨から始まる。

——私の「肉體の悪魔」について、ある批評家が「この作品には思想がない」と指摘してゐた。最近書いた「肉體の門」についても、批評家は同じ批評を下すにちがひない。その批評を見たとき、私は近代の日本人の「思想」といふものの考へ方を、改めて考へさせられた。——

大宅壮一が『無思想人宣言』で、花森安治もまた無思想の一人に数えあげたからでもなかろうが、花森に「思想」がないと評した者は、すくなからずあったとおもう。田村ではないが、かれらのいうのが「思想」とよぶものであるのならば、ないといわれて「光栄である」と、花森も甘受したことであろう。河合隼雄が評したように、花森安治には「手ざわりの思想家」という称号がふさわしい。

本書最後のエッセイのタイトルは「機關車の美しさ」——鉄道機関車の雄々しさに、こどものように感動する田村の心性は、花森安治のそれとまったく同じで、気があうはずだとおもった。


巻末ページ(刊行物案内)

表紙全体

【もうひとこと】草野書房の草野貞二の名は、さきに紹介した日本読書新聞社『最新出版社執筆者一覧』昭和21年度版に、新興音楽出版社の代表者としても記載されている。じつは楽譜出版社の看板のほうが社歴は古く有名なのだ。現在のシンコーミュージック・エンタテイメントは、草野貞二の子息昌一が継いで発展させた音楽出版社である。ちなみに草野昌一は、いまや伝説のテレビ人気音楽番組「ザ・ヒットパレード」で輸入紹介したアメリカンポップスの訳詞家、漣健児の名で知られ、渡辺晋と共にわが国60年代ポップス歌謡界を牽引した。

2011年4月20日水曜日

田村泰次郎選集 第一巻 田村泰次郎

1948


書 名 田村泰次郎選集 第一巻
著 者 田村泰次郎(1911−1983)
発行人 草野貞二 
発行日 昭和23年7月15日
発 行 草野書房
発行所 東京都杉並区松ノ木町1115
印刷所 日本紙工印刷合資会社
判 型 B6判 平綴じ 本文口絵共336ページ
装 本 上製カバー 丸背ミゾ 表紙 表裏・型押し 背・箔押し
定 価 190円


目次

カバー裏

カバー 全

【ひとこと】注目していただきたいことが二つある。
一つは、花森安治の描き文字。3種類の書体でかきわけられている。カバーに2種類、扉に1種類、 これぞ花森フォントといえるもので、花森は対象テーマに応じていろいろに文字をかき分けた。

もう一つは、端布をつかったデザイン。佐野繁次郎の影響をみてとれるが、佐野がさまざまな端布を重ね合せるのに対し、花森は端布をならべるだけで、重ね合せることはすくない。縞帳のような端布見本の延長のようにおもえる。

言いかたがむつかしいが、佐野は端布をつかって芸術作品を創り出そうとするのに対し、花森は端布そのものに「美」を発見し、じぶんの美学世界を表現しようとする。——それはとりもなおさず、画家と編集者の資質の違い、といえるだろう。


本体 表紙全(表紙は型押し 背は箔押し)


奥付
【もうひとこと】発行人の草野貞二と草野書房については、また機会をあらためるが、いろいろと興味深い話がありそうだ。いつごろ草野と花森が知り合ったのか不明だが、おそらく翼賛会時代に親しくなったのだろうと、小生は見ている。

奥付の検印紙、表紙やカバー裏面の木の葉のロゴマークをみれば、これが花森安治のデザインであること、だれの目にも容易に察せられる。

花森安治はこの当時、編集者とグラフィックデザイナーの二足のワラジを履いて、かけまわっていたにちがいない。

カバー裏面 草野書房商標










 *画像の上でクリックすれば、拡大してご覧いただけます。

2011年4月18日月曜日

或る山村共同耕作の記錄 櫻井恒次

1944


書 名 或る山村共同耕作の記錄
著 者 櫻井恒次
発行人 杉山雄一郎 
発行日 昭和19年11月30日
発 行 大日本出版株式会社
発行所 東京都京橋区銀座1−5
印刷者 安達信雄
印刷所 大日本印刷株式会社
製 本 河上製本
判 型 A5判 並製平綴じ 本文236ページ
定 価 3円18銭(税込)


奥付

【ひとこと】大政翼賛会在職中の作品である。著者の櫻井恒次は、卒業年度から察するに花森安治の後輩にあたる。奥付にあるように当時の財団法人大学新聞社は、各大学新聞を統合し全国紙を発行していた。櫻井はその常務理事であり、東大構内の新聞編集部に出入りしていた面々と設立したのが「青年文化会議」で、初期のメンバーに花森安治も加わっていた。同人には、農村における食糧増産と文化啓蒙運動にすすんだグループがあり、櫻井はその実践家の一人であった。

宮守正雄『ひとつの出版・文化界史話』によれば、櫻井は敗戦直後、花森らと出版社をつくろうとしたが、青年文化会議内の「観念性」がしだいに強まったせいか、花森も距離をおくようになり、実現しなかった。というよりも、衣裳研究所での花森のしごとが忙しくなったからであろう。ちなみに出版社の設立準備中、仲間のひとりが野間宏で、花森は野間にレイアウトなど編集技術を教えたという。野間宏はその後『黄蜂』編集部に移っている。

ウラ表

【もうひとこと】表紙は、一見すると絣(かすり)の端布をならべた写真のようだが、花森が描いた絵である。これなどには佐野繁次郎が装幀した改造社版新日本文学全集のカバーの影響が感じられるが、やはり両者の大きなちがいは描き文字であろう。佐野は、かちっとした漢字を書けなかった人のようにおもう。また、ホワイト・スペースのとりかたにも、画家と編集者のちがいが表れているようにおもう。


表紙全体

2011年4月15日金曜日

調理科學の實際 高木和男

1947

書 名 調理科學の實際
著 者 高木和男(1909−2004)
発行人 河出孝雄 
発行日 昭和22年10月30日
発 行 河出書房
発行所 東京都千代田区神田小川町3−4
印刷者 對島好文
印刷所 共和印刷
製 本 岸田製本
判 型 B6判 並製平綴じ 本文188ページ
定 価 48円



【ひとこと】なんとも悩ましい一冊だ。すぐお気づきになったとおもうが、こともあろうに表紙の著者名が誤植である。和夫ではなく和男が正しい。扉も奥付も和男だから、2対1で和男に軍配をあげたわけではなく、栄養学者の高木といえば和男、和夫のほうは宝塚歌劇である。それだけに悩む。なにせ花森安治は大政翼賛会在職中、宝塚歌劇の脚本をかいたほどで、傑作レビュー『モン・パリ』『パリゼット』を作曲した高木和夫の名は脳裏に刻みこまれていたはず。花森の不注意だったのか。装釘者名がどこにも記されていないところをみると、カットを描いただけで、校正刷りは見せられなかったのか。

この表紙のデザインはどこかちぐはぐで、いわゆる花森安治らしさがない。装釘作品として加えるには、ためらわざるを得ない。じつに悩ましい。それにしても、こんな重大ミスをみすごし配本販売したなんて、河出書房の出版史上、おそらく珍事だとおもう。


奥付

【もうひとこと】神奈川県藤沢市に「鵠沼を語る会」がある。ホームページもあって、そこに鵠沼に住んだ著名人(物故者)録があり、高木和男について次のように紹介している。

——幼少より鵠沼海岸に住み、湘南中学に1期生として入学し、横浜工専に進んだ。その1年の時、鵠沼海岸で蜃気楼を撮影、評判となり、芥川龍之介晩年の名作『蜃気楼』のヒントとなった。専門の栄養学研究のかたわら郷土史にも関心を寄せ、『鵠沼海岸百年の歴史』を著すとともに「鵠沼を語る会」の会長も務めた。邸宅は藤沢市に寄贈され、「高木ふれあい荘」として活用される。——

調理科學の實際 ウラ表紙

2011年4月13日水曜日

句文集 松江 森川辰郎

1954


書 名 句文集 松江
著 者 森川辰郎(1926−?)
発行人 臼井喜之介(1913−1974)
発行日 昭和29年11月20日
発 行 臼井書房
発行所 京都市左京区北白川京大北門前
印刷者 吉澤信夫
印刷所 平和印刷
製本所 加藤製本
判 型 B6判 上製 角背ミゾ平綴じ 函入り 本文174ページ
定 価 250円


扉(別丁和紙)
奥付

【ひとこと】森川辰郎は、前回紹介した辻久一『夜の芸術』の発行人、すなわち審美社の経営者。旧制松江高校では花森安治の後輩にあたる。みずからの句文集を、臼井喜之介の臼井書房からだしたところに、森川のこだわりがうかがえる。臼井は詩人であり、『新生』を戦前再刊した編輯者としても知られる。林哲夫さんのブログをごらんください。
http://sumus.exblog.jp/14679007/

尊敬する編輯者の手にゆだね、上梓してもらうのは、著者としてなによりの喜びであろう。

ウラ表紙
表紙全体

【もうひとこと】句集といえば、花森安治は前の年、佐藤念腹『念腹句集』を装釘し、暮しの手帖社からだしている。句集であることを意識してか、簡素ながら趣のある装本で、あるいは森川は、そのできばえに魅了され、装釘をたのんだのかもしれない。花森は毛筆をつかい、力強く大胆な構図でありながら、風情のある装釘にした。

函には、書名も著者名もない。 和紙に印刷した紙片を背に貼っているだけ。 しかし松江に暮したことがある人ならば、函に書かれているのが松江の町名であることが、すぐわかるだろう。すべて「松江」なのだ。松江には、いまも昔の町名が生きている。町名には、そこに住んだ人びとの暮しのよすがと、歴史がある。筆書きでありながら、どこかにモダンさを感じさせるのは、明朝体活字のもつ特徴を生かしているからではないだろうか。


函 おもて
函 背
函 ウラ

【おまけ】下は、函をこわすわけにもゆかず、天地をのぞいて表裏と背をコピーして合成した。北殿町をのぞき「町」の字を田と丁の上下にわけて書いたことが、はっきりわかる。根拠あってのことだとおもうが、見た目がすっきりしていい。

この中にはないが、松江市袖師町にある島根県立美術館で、来年2月24日〜4月2日、「暮しとデザイン」というテーマで花森安治の展覧会が予定されている。訪れたひとに希望と元気をあたえるだろう。


函を展開すると(ただし合成)

2011年4月11日月曜日

夜の藝術 辻久一

1949

書 名 夜の藝術
著 者 辻久一(1914−1981)
発行人 森川辰郎 
発行日 昭和24年5月20日
発 行 審美社
発行所 東京都港区新橋田村町6−17
印刷者 山村榮
判 型 B6判 上製平綴じ 本文298ページ
定 価 200円


本文扉
あとがき後半と奥付(画像の上でクリックすると拡大します)

【ひとこと】辻久一は、映画評論家、プロデューサー。日本映画の黄金期、『雨月物語』『山椒大夫』や『眠狂四郎』『座頭市』など、大映で数多くの名画を企画した。テレビの普及により映画産業がおちぶれて以後は、野上徹夫の筆名でテレビドラマの脚本をかいた。東芝日曜劇場の『カミさんと私』は代表作。ほのぼのとしたホームドラマだったことをおぼえている。

そんな印象をもって花森安治の表紙を目にするとき、書き文字の大胆さといい、バウハウスの影響をおもわせる配色デザインといい、すさまじい迫力にたじろぐほどだ。辻の映画論と演劇論は硬質ではあるが、若々しい情熱と、革新性に満ちている。花森は本書をよみ、よほど意気に感じたのではないか。むかしの青年たちは酒をくみかわし、なにかと論じ合ったものだ。扉にえがかれた徳利のかずが、青春の日々の昂揚をつたえている。斗酒なお辞せず——辻は日本酒が好きだったのかしら。

ウラ表紙
オビ
【もうひとこと】花森の装釘本にはめずらしく、オビがついている。辰野隆の序文を惹句にしているのだが、ごらんのように、辻久一の名まえがかくれ、表紙の迫力がそこなわれてしまっている。
あとがきに辻は、辰野隆らへの謝辞をのべたあと、発行人の森川辰郎と同様、旧制松江高校で花森の後輩であったことを書いている。自著がはじめて本になったとき、誇らしさに弾ける気持がある反面、気恥ずかしさに隠れたくなる思いが交錯する。いわく言いがたい心情をオビが代弁しているかのようだ。

表紙全体