2011年1月31日月曜日

放送ばなし 和田信賢

1946

書 名 放送ばなし ーアナウンサア十年ー
著 者 和田信賢
発行人 青山與三次郎 
発行日 昭和21年9月10日
発 行 青山商店出版部
発行所 東京都芝区西久保巴町29
印刷所 青山商店印刷所
判 型 B6判 上製平綴じ(糸)カバー無し 本文238ページ
定 価 20円


奥付
検印紙

【ひとこと】田宮虎彦の文明社文藝叢書をご覧いただいたとき、奥付に著者名と装釘者名を併記した例は他にないと記したが、見てのとおりである。玉音放送のアナウンスで知られた著者和田信賢の左に、花森安治の名まえもあった。不覚をおわびします。
ところで、この奥付をみて気づいたかたは、 暮しの手帖社の刊行物によほどくわしいかたであろう。発行人の青山與三次郎は、青山印刷の経営者であり、暮しの手帖社の活版印刷を一手にひきうけていた。花森とは戦後まもなく知り合ったのはたしかで、どんないきさつがあったかわからぬが、青山商店と名称を変え、出版部をたちあげたらしい。アルファベットのAの金属活字をデザイン化したロゴマーク、検印紙も花森の手によるもので、本書の企画編集出版のすべてにわたって花森が関与していたことは、うたがいえない。しかし、青山商店は、本書一冊かぎりで出版をやめ、ほんらいの印刷業一本にもどったらしく、出版社として存続したあとが見あたらない。

放送ばなし ウラ表紙
ロゴマーク

2011年1月28日金曜日

日本の心 小泉八雲新輯 Ⅲ

1947

書 名 日本の心 小泉八雲新輯 Ⅲ
編纂者 田部隆次
発行人 尾張眞之介 
発行日 昭和22年4月15日
発 行 大日本雄辯会講談社
発行所 東京都小石川区音羽町3ー19
印刷人 渡邊清
印刷所 仲外印刷株式会社
判 型 B6判 上製平綴じ(糸)カバー無し 本文226ページ
定 価 100円(改定価格)

日本の心 扉

日本の心 奥付

【ひとこと】前年11月、15円の定価をつけて刊行したシリーズが、半年をまたずして翌年4月には50円に値をあげ、その数日後には100円の改定価格を貼って売らざるをえなかった。配給米10キロが99円70銭、インフレのひどさがわかる。それでも新生社のような新興出版社にくらべ、用紙は確保できたらしく、当時としてはマシな装本だといえよう。残念ながら3冊とも背文字はかすれてしまい、ごらんにいれられない。

明治37年9月26日、小泉八雲は狭心症により逝く。のちに高浜虚子が「子規の忌の後の八雲の季を定む」と詠んで、八雲忌は秋の季語となった。本書におさめられている「小さな歌」は、俳句のよさを西洋に紹介したもので、そこに虚子の句が収載されていたことも影響したようだ。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が松江に滞在したのは 1年3カ月。かのクラーク博士が札幌に滞在したのは1年に満たない。それでも日本人に慕われ、いまなお敬われつづけている。なにの力だろう。

日本の心 ウラ表紙

2011年1月26日水曜日

日本の面影 小泉八雲新輯 Ⅱ 

1947

書 名 日本の面影 小泉八雲新輯 Ⅱ
編纂者 田部隆次
発行人 尾張眞之介 
発行日 昭和22年4月10日
発 行 大日本雄辯会講談社
発行所 東京都小石川区音羽町3ー19
印刷人 渡邊清
印刷所 仲外印刷株式会社
判 型 B6判 上製平綴じ(糸)カバー無し 本文288ページ
定 価 50円



【ひとこと】小泉八雲新輯は全3輯。『日本の面影』はその第2輯で、ごらんのように、第1輯とおなじ絵がらの色ちがいだ。
八雲は来日するや、中学校と師範学校の英語教師として松江に赴任している。松江滞在は1年3カ月にすぎなかったが、宍道湖に面した城下町で日本の魅力にすっかりとりつかれ、小泉節子と結婚。そのご熊本五高で教鞭をとるも神戸に移住。英字新聞「神戸クロニクル」の記者となり、日本国籍を得て八雲を名のるが、神戸の土地柄には親しめなかったのか上京し、東京帝大英文科講師として教壇にたった。そのときの教え子が田部隆次らで、小泉八雲全集の翻訳出版につくした。

松江と神戸、そして東京——小泉八雲と花森安治は、生きた時代こそちがうが、暮した土地でつながっていた。ふたりの豊かな感受性は、「居は気(こころ)を移す」ことを、知ったはずである。

日本の面影 目次(後半)と本文扉

日本の面影 ウラ表紙

2011年1月24日月曜日

日本の怪談 小泉八雲新輯 Ⅰ

1946

書 名 日本の怪談 小泉八雲新輯 Ⅰ
編纂者 田部隆次
発行人 尾張眞之介 
発行日 昭和21年11月10日
発 行 大日本雄辯会講談社
発行所 東京都小石川区音羽町3ー19
印刷人 渡邊清
印刷所 仲外印刷株式会社
判 型 B6判 上製平綴じ(糸) 本文214ページ
定 価 15円



【ひとこと】田辺隆次による小泉八雲新輯 Ⅰ 『日本の怪談』である。
編纂者の田辺は、八雲が東京帝国大学英文科在任中の教え子であり、八雲研究の第一人者として知られることは、ごぞんじのとおり。
八雲の怪談といえば、だれしも「雪女」をおもいつくだけに、表紙の魚たちや扉の虫たちの図には、正直とまどいがあった。本書に、魚の絵を描くことに長じた僧侶にちなむ怪異譚がおさめられており、それが表紙絵のモティーフになったとおもわれる。
田辺が解説している。ギリシャ人の母をもつ八雲は、日本人が虫を愛でること古代ギリシャ人と同じとよろこび、身のまわりに棲む小さな動物たちのいのちを、いつくしんだという。
——とわかれば、花森の制作意図も納得がゆく。

(訂正とお詫び)小泉八雲は、母がギリシャ人、父はアイルランド人でした。訂正日2011/3/6 。



日本の怪談 ウラ表紙

2011年1月21日金曜日

女性 創刊号

1946

誌 名 女性 創刊号
発 行 新生社
発行日 昭和21年4月1日
発行人 青山虎之助
編集人 青山虎之助
印刷人 山田三郎太
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全76ページ
定 価 5円(送料20銭)

【ひとこと】青山虎之助の新生社について、もうひとつ重要な資料がある。福島保夫著『書肆「新生社」私史』(武蔵野書房、1994年刊)がそれだ。花森安治の思い出もおさめてある。しかし、発行兼編集の青山と挿絵画家としての花森とのかかわりについては、明瞭ではない。編集部の求めにおうじて描いたり、レイアウトを手伝ったのであろうが、仔細にながめると、誌名のロゴから目次、ウラ表紙の広告にいたるまで、花森のセンスでまとまっている。表紙の写真について、説明はどこにもない。構図とアングルから察するに、巻頭グラビア8ページをかざった磯部達雄の写真であろうが、大胆なトリミングは磯部ではないような気がする。花森はこれ以後、表紙のデザインにはかかわっていないようだ。


女性 創刊号目次

女性 創刊号表4

【もうひとこと】新生社の創業にあたって、福島保夫は、佐野繁次郎が企画参加していたと書いている。パピリオの意匠や広告にたずさわった佐野が、新生社に化粧品販売をすすめたのであろうか。広告後すぐこの企画はなくなったそうだ。放漫経営ゆえか、新生社はあしかけ3年で幕を閉じるのだが、その後半は、小島政二郎の企画による『女性』が屋台骨をささえたのだと、宮守正雄がつづっている。
ところで新生社といえば、雑誌『新生』によって戦後スタートしたのだが、すでに同名雑誌があったことを林哲夫さんのブログで知った。いつも蒙を啓かれてばかりだ。
http://sumus.exblog.jp/14679007/
「新生」も、いまでは古めかしい響きを感じさせる日本語になった。

2011年1月19日水曜日

日本文学の諸問題 中野重治

1946

書 名 日本文学の諸問題
著 者 中野重治
発行人 青山虎之助
発行日 昭和21年5月25日
発 行 新生社
発行所 東京都麹町区内幸町 大阪ビル
印刷人 貫井修三
印刷所 日工印刷株式会社
判 型 B6判 平綴じ 本文64ページ
定 価 3円50銭

【ひとこと】これも新生叢書の一冊である。 誇らしげに「全部戦後書下し」をうたっていた。室伏高信『新生の書』『民主主義と日本』『自由主義か社会主義か』『日本の天皇』、正宗白鳥『我が生涯と文学』、藏原惟人『新しき日本のために』、宇野浩二『福澤諭吉』、三宅晴輝『インフレと財産税』、藤井誠一『敗戦の日本経済』がある。新生社のいわば相談役であった室伏高信と三宅晴輝の志向が、叢書のコンテンツにも濃く反映したようだ。そのなかで、舟橋聖一と中野重治の著作の装釘をしたことは、やはり花森なりの分別があったのではなかろうか。意外に思えるかもしれぬが、花森安治は、時流に敏感ではあったが、安易にのることを、潔しとしない人間であった。

 【補遺】平成22年11月8日更新、週刊朝日別冊(昭和31年新緑特別読物号)で、花森安治の詩が 「レール」という歌曲になったことをご紹介しました。それをYouTubeにのせてくださった方がおられます。良い曲です。お聴きください。ただし、花森が「国鉄分割民営化に異を唱えた」と誤解なさいませぬように。花森の詩が一部変えられて歌詞になっているのは、その10余年前になくなっていたからです。
http://www.youtube.com/watch?v=YwNjdq3JDsE&feature=related

2011年1月17日月曜日

闇から夜明けまで 舟橋聖一

1946

書 名 闇から夜明けまで
著作者 舟橋聖一
発行人 青山虎之助
発行日 昭和21年5月1日
発 行 新生社
発行所 東京都麹町区内幸町 大阪ビル
印刷人 小坂孟 東京都牛込区市谷加賀町1−12
判 型 B6判 平綴じ 本文64ページ
定 価 3円80銭

【ひとこと】新生社は、敗戦後の日本に、月光仮面ではないけれど「疾風のように現れて疾風のように去って」いった出版社。その盛衰は宮守正雄著『ひとつの出版・文化界史話』(中央大学出版部、1970年刊)にくわしい。
舟橋聖一のこれは「新生叢書」のうちの1冊。戦火の焼跡からうまれたヴィーナスのような絵をはじめて見たとき、東郷青児の作とみまがってしまったほどだ。だが、花森安治が描いたことをしめすHのサインが、たしかにあった。なお本書は小説で、文末に(前編了)と記されているが、後編が同社から刊行された形跡はない。

16年前のきょう午前5時46分、花森の郷里、神戸は大地震にみまわれた。この表紙絵から伝わる静寂な祈りは、いま時空を超えて、希望を感じさせる。

2011年1月14日金曜日

暮しの眼鏡 花森安治

1953
本体表紙

書 名 暮しの眼鏡
著作者 花森安治
発行人 矢部良策
発行日 昭和28年4月25日
発 行 創元社
発行所 大阪市北区樋上町45番地 東京都中央区日本橋小舟町2ー4
印刷人 河北喜四良
製本人 松尾榮次郎
判 型 B6判 上製平綴じ(糸) カバー付 本文188ページ
定 価 200円

【ひとこと】昭和25年発行の衣裳研究所版『服飾の讀本』につづく花森安治の自著自装である。じぶんの本だけに、のびのび楽しんでいる。表紙の変なローマ字表記は、中世ファナモリ語といった趣向のお遊びか。
あとがきに、花森は創元社にたいして「帯封はつけないでほしい、本の中にも広告を入れないで欲しい、と言いたい放題の註文を」したと書いている。版元におちどはないという意の、花森らしい気づかいだ。

扉や目次の文字組をごらんいただきたい。花森安治の装本の美意識が見事にあらわれている。

本扉

目次


奥付

奥付に、なれたペンづかいで本書への「寸評」が記されていた。もとの購読者によるおぼえ書き。(小生は京都の書砦梁山泊で入手した)

花森安治君は才子である。
小才子である。
猪口才である。
——と思はせる節のあるのは才走りすぎて損な処だ。
着眼点は實に鋭いのである。筆が軽妙すぎるから鋭いところも軽く流れてしまう憾みがある。昭和三〇、五、二六、

このような読み巧者が、花森安治の言動を見まもり、『暮しの手帖』をあと押ししたのであろう。きょう1月14日は花森安治の祥月命日。市井の賢者のことばを供養して、もう一ど本書を読みかえしたい。

2011年1月12日水曜日

現代名作名画集 第1巻 石井鶴三集 吉川英治著 宮本武藏

1954

ウラ表紙

ウラ表紙の文字のカゲは型押しで六興出版社版


書 名 現代名作名画集 第1巻 石井鶴三集 吉川英治著 宮本武藏
著作者 石井鶴三
発行人 吉川晋
発行日 昭和29年4月25日
発 行 六興出版社
発行所 東京都中央区日本橋蠣殻町1−12
印刷人 守安巌
印 刷 東京印刷株式会社
製 本 黒岩製本所
判 型 A5判函入 上製平綴じ(糸) カラー口絵付 本文192ページ
定 価 360円

【ひとこと】この本は、どこにも装釘(装本)者のなまえを記していない。しかし花森安治であるのは一目瞭然だ。それを大貫伸樹さんはどうやって確認したか、ブログにつづっておられる。いまさらではあるが、ひじょうに含蓄にとむブログだから、ぜひそちらをご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/shinju-oonuki/20080424

この本が刊行された昭和29年、『サンデー毎日』7月25日号<女の男装・男の女装 花森安治の思想と生活>という特集記事に、花森のデザインを評した次の発言がある。

「‥‥装丁の絵を例にとると、専門家の目から見ると、線のきびしさもないし、構図もでたらめだし、なっちゃいないんですが、そのヘタさ、シロウトくささ、稚拙さが逆に効果を出すようにしてる。ただそんな自分の限界を、ちゃんと意識して、計算しているところが、彼の賢明なところなんですよ。たとえばクレオン(ママ)でマルやサンカクを並べる。それだけなら抽象画になるので、それをペンで線でつなげる。すると木になる。大衆というのは奇妙なもので、こんなシロウトにも、すぐわかるようなナゾをかけられて、ハハアなるほど、ウマイわねと思っちゃう。こんな大衆心理を、じつによくつかんでるんですな」
 ——当時、頭角をあらわしてきた亀倉雄策である。 批評ではなく自己顕示にすぎない。思想なきことばの、なんとケイハクにひびくことよ。


現代名作名画集 第3巻 函
現代名作名画全集 函ウラ



現代名作名画全集は全14巻企画。月報をつけて、毎月刊行の予定であった筈だが、全うしなかったのではないか。古書店はもとより、国会図書館にも全巻そろっていない。石井鶴三集のほかに宮田重雄集(第3巻)と木村莊八集(第14巻)だけを目にできた。

2011年1月10日月曜日

文明社 文藝叢書の奥付と検印紙 

煙管 奥付

文明社刊行の文藝叢書5冊の表紙をごらんいただいたところで、もうひとつ紹介しておきたいのが奥付である。スタイルは5冊ともおなじだから、最初に刊行された新田潤『煙管』に代表させよう。

注目すべきは、著作者名と装釘者名を並列させて奥付に記しているところ。ふつうは装釘者名は本のはじめ、扉のウラや目次のあたりにつつましく置かれている。著者よりも目立っちゃいけない、分をわきまえろ、そんな感じだ。むろん奥付に装釘者名を記した本もあるが、このように著者に伍して記した本は、ほかに知らない。同じころの花森の装釘本をしらべてみたが、衣裳研究所の出版物の奥付にも、並記した例はなかった。

さらに興味をそそるのは、検印紙と著者の検印である。検印紙のデザインは、タオル掛けにむぞうさに掛けられたタオルのようだが、だれのデザインかわからない。しかし、おそらく花森安治であろう。親友田宮がだす文明社最初の単行本である。その装釘者である。検印紙をつくらなくては、画竜点睛を欠くようなものだ。それにしても、奇妙な検印ではないか。森本薰『女の一生』を入手するまで理解できなかった。 上から順に、

(1)煙管
新田潤の印と左に「は」の字印



(2)竹夫人
 井上友一郎の印と左に「な」の字印







  



(3)青春の回想
津村秀夫の印と左に「花」の印
(4)龍源寺
澁川驍の印と右に「花」の印
(5)女の一生
森本薰の印影はない。
「花」「森」「本」の3文字の印が使われている。それがバラバラに押してあって、右側をタテによむと森本、左側をタテによむと花森になる。または上下に分けて、上段をヨコによむと花森、下段をヨコによむと森本になる。他の4人にくらべ、ずいぶん粗っぽい検印だ。


 森本がどのような考えていたか、知るよしもない。あるいは印鑑廃止論に与していたかもしれない。「そっちでテキトーにやっといて」ということだったのか。面白半分のようだが、しかしこの印から、検印紙は著者のためだけでなく、花森のためにも使われたことは確かなのだ。これから推されることがある。

つまり装釘した花森にも、著者に対するように、印税が支払われたのだろうか。だとすれば花森は、装釘を編集者のしごとに従属させるのではなく、職業として確立しようとしたと考えられる。それにしても中途半端なのは、本人の印鑑ではなく、おそらく四号(14ポ)の金属活字で代用していることだ。いろいろ想像させてくれてますね。

2011年1月7日金曜日

女の一生 森本薰

1946
女の一生 ウラ表紙

書 名 女の一生 ー文藝叢書ー(5)
著作者 森本薰
発行人 田宮虎彦
発行日 昭和21年10月15日
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通6丁目14番地
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 B6判 平綴じ 表紙見返し付 本文128ページ
定 価 10円

【ひとこと】予定では、文藝叢書は下掲告知のように順次刊行されるはずであった。しかし、野口冨士男『うきくさ』以下の新刊もしくは近刊は、出版された形跡が なく、続刊と紹介された『女の一生』のみが文藝叢書(5)として刊行されている。文明社の台所事情によるものか。
文藝叢書のうち本書だけ、書名および著者名が、右から左へ表記されている。これは花森装釘本のなかでも異例中の異例だ。戦時中の装釘にも例がない。花森に尋ねてみたいことの一つである。

文明 秋季小説特輯 表3掲載の告知記事

2011年1月5日水曜日

龍源寺 澁川驍

1946
龍源寺 ウラ表紙

書 名 龍源寺 ー文藝叢書ー(4)
著作者 澁川驍
発行人 田宮虎彦
発行日 昭和21年5月15日
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通6丁目14番地
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 B6判 平綴じ 表紙見返し付 本文132ページ
定 価 9円

【ひとこと】お気づきのかたもあろうが、 文藝叢書 4冊めの『龍源寺』は 2冊め『竹夫人』とおなじく発行日は5月15日。しかるに 3冊めの『青春の回想』は8月15日である。ここでは番号順に紹介した。
澁川驍と文明社について、高橋輝次さんのブログ「古書往来」第46回をごらんいただけば、おおよそのことがわかる。
http://www.sogensha.co.jp/page03/a_rensai/kosho/kosho_top.html

高橋さんがおつとめの創元社は、花森安治にとって縁の深い出版社。人と本は、意想外のつながりがあって、おもしろい。

2011年1月3日月曜日

文明 新年特輯

1947

誌 名 文明 新年特輯
通 巻 第2巻第1号
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通六ノ一四
発行日 昭和22年1月1日
発行人 田宮虎彦
編集人 田宮虎彦
目次画 花森安治
印刷人 中田末男
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全116ページ
売 価 15円

【ひとこと】神戸の小学校で、田宮虎彦と花森安治は同級生であった。ともに1911年生れ。田宮にとっても、ことしは生誕百年にあたる。田宮と小松益喜の共著に『神戸 わが幼き日の‥‥』(中外書房1958年刊)があるが、花森のことは書かれていない。この表紙のモデルらしき建物のスケッチもない。しかし洋館は、文明開化の象徴である。幼いふたりの眼に焼きついて、郷愁をさそう景色であっただろう。

 『文明』の発行期間は、昭和21年2月〜23年3月と記されているが、不定期刊のようだ。南陀楼綾繁さんのブログによれば、大屋幸世著『日本近代文学書誌書目抄』(日本古書通信社2006年刊)には、花森安治がどの号の表紙をかいているかわかるという。ちなみに創刊号は花森ではなく、内田巌がかいていた。誌名ロゴもちがっている。
はじめから頼めばいいのに、親友にめんどうをかけまいとした田宮虎彦の、きまじめな性格が古風で、せつない。


【哀悼】田村治芳さんのご冥福をお祈りいたします。
鐵村大二の生活社と花森安治のかかわりについて、メールでことばを交わしただけの縁でした。『彷書月刊』休刊号で、ふたたび河内紀さんに「生活社と鉄村さん」を書かせたことに、田村さんの、静かではあるけれど、たしかな心意気を、あらためて感じさせられました。合掌

2011年1月1日土曜日

謹賀花森安治生誕百年

唐澤平吉2011年賀状

本年もよろしくお願い申しあげます

これが小生の年賀状デザイン。「謹賀花森安治生誕百年」というコピーは、じつは小生のオリジナルではありません。毎年ちょうだいしている臼田捷治さんの賀状からの無断転用です。臼田さんは「恭賀○○○○百年」というふうに書いておられ、小生もまねてみたいと苦節十余年、ついに実現しました。もう、おもいのこすことはない、というのは冗談で、老骨にムチ打って、拙ブログをつづけたいと念じております。

いま小生は伊那谷に住んでいます。拙宅から車で10分ほどのところ塩尻市小野は、筑摩書房創業者の生地で、古田晁記念館があります。 花森安治にも記念館ができれば、小生蒐集の雑誌や書籍を寄贈させてほしいとねがっているのですが・・・。

みなさんにとって、夢がかなう、よい年でありますように。

【再録】かつて紹介した週刊朝日の表紙のスライドショウです。はじめての方は、こちらもご覧ください 。
 http://www.youtube.com/watch?v=NoZXq8Ynj9k