2010年12月29日水曜日

青春の回想 津村秀夫

1946

青春の回想 ウラ表紙

書 名 青春の回想 ー文藝叢書ー(3)
著作者 津村秀夫
発行人 田宮虎彦
発行日 昭和21年8月15日
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通6丁目14番地
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 B6判 平綴じ 表紙見返し付 本文158ページ
定 価 10円

【ひとこと】 文藝叢書の表紙は、すべて特色の2色刷りだが、けっして貧相ではない。花森はインキがのらない白の部分をいかして、絵を3色で描いたようにみせる。工夫なのだ。花森がつくった標語ではないけれど、なにごとも「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」のだろう。

【お知らせ】ことしの更新は、きょうを最後とします。あわただしい年の瀬にブログをごらんいただき、ありがとうございました。来年は元旦からスタートです。どうぞお元気で、あたらしい年をお迎えください。

2010年12月27日月曜日

竹夫人 井上友一郎

1946
竹夫人 ウラ表紙

書 名 竹夫人 ー文藝叢書ー(2)
著作者 井上友一郎
発行人 田宮虎彦
発行日 昭和21年5月15日
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通6丁目14番地
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 B6判 平綴じ 表紙見返し付 本文112ページ
定 価 8円

【ひとこと】井上友一郎は『都新聞』の記者をへて作家になった。作品はバラエティーに富む。花森安治は、井上の著書ではほかに『寝室の思想』『銀座川』の装釘もしている。それらはいずれこのブログでごらんにいれたい。井上は、花森がすきだった上方落語家、桂春団治をえがいた『あかんたれ一代 春団治無法録』の著者でもあった。大阪育ちの井上と神戸育ちの花森は、たがいに馬が合ったのかもしれない。

2010年12月24日金曜日

煙管 新田潤


1946

煙管 ウラ表紙

書 名 煙管 ー文藝叢書ー(1)
著作者 新田潤
発行人 田宮虎彦
発行日 昭和21年4月10日
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通6丁目14番地
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 B6判 平綴じ 表紙見返し付 本文136ページ
定 価 8円

【ひとこと】花森安治らしい装釘である。文藝叢書全5冊に共通しているが、ウラ表紙にもその特質がよく出ていて、なんだかトクをした気分になるといえば大げさか。花森の熱のいれようが伝わってくる装釘だ。
まったくの余談だが、家具の絵をみておもいだした。岐阜県高山の家具メーカー飛騨産業が商標としてつかっている「飛騨の家具」は、花森安治の描き文字である。しかし松本民芸家具専売店の「花森家具」は、印象にのこる商標だし気にもなるが、花森安治の作ではない。

2010年12月22日水曜日

文明 八月号

1947
表2

誌 名 文明 昭和22年8月号
通 巻 第2巻第5号
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通六ノ一四
発行日 昭和22年8月1日
発行人 田宮虎彦
編集人 田宮虎彦
目次画 花森安治
印刷人 中田末男
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全68ページ
定 価 15円
 
【ひとこと】表紙は前号と色ちがい。 目次のデザインを少し変えた。花森安治の目次画のおさまりがいい。余白が生きている。本文レイアウトにも花森らしさが感じられるようになった。下は随筆ページだが、このゆったりしたレイアウトは、戦時中にでた生活社の『婦人の生活シリーズ』や、『文明』の後からでる『暮しの手帖』を、おそらく想い起こさせるのではないだろうか。

 
文明8月号

2010年12月20日月曜日

文明 七月号

1947
表2

誌 名 文明 昭和22年7月号
通 巻 第2巻第4号
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通六ノ一四
発行日 昭和22年7月1日
発行人 田宮虎彦
編集人 田宮虎彦
目次画 花森安治
印刷人 中田末男
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全52ページ
定 価 10円

【ひとこと】4月発行の前号「緑陰小説特輯」から 2カ月あけて月刊化した。このころ日本の紙不足はきびしく、用紙割当委員会によってページ数をへらされている。配給制なのだ。「実際の所四八頁では雑誌の形態を整へるために異常な苦心を要する」と、この号から編集をたすけた小島輝正が、田宮虎彦にかわって編輯後記にかいている。目次を表 2にのせているのも苦心のあらわれだが、デザインがすっきりしてきた。

2010年12月17日金曜日

文明 緑陰小説特輯

1947
表2

誌 名 文明 緑陰小説特輯
通 巻 第2巻第3号
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通六ノ一四
発行日 昭和22年4月20日
発行人 田宮虎彦
編集人 田宮虎彦
目次画 不明
印刷人 中田末男
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全124ページ
売 価 25円

【ひとこと】 表紙が目次になっている。Hのサインがあるから、表紙絵が花森安治の作であることは確かだが、作者名は誌面のどこにも記載されていない。2色刷の表紙で、この号もスミ文字の小説特輯が、緑色の誌名ロゴよりも大きい。さらに奇妙なのは、表2(表紙のウラ)も同じ文字組の目次になっていることだ。花森のセンスを知るものからすれば、やはりこれは理解にくるしむであろう。表紙の絵と文字は、それぞれが存在を主張し、その役割をたがいにそこないあっている。

2010年12月15日水曜日

文明 秋季小説特輯

1946

文明 秋季小説特輯 目次

誌 名 文明 秋季小説特輯
通 巻 第1巻第8号
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通六ノ一四
発行日 昭和21年10月1日
発行人 田宮虎彦
編集人 田宮虎彦
目次画 花森安治
印刷人 中田末男
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全164ページ
売 価 10円

【ひとこと】田宮虎彦の「編輯後記」に胸をつかれる。「政治といふものは所詮民生の安定への努力以外の何ものでもない。(中略)それは誰もが主張し、誰もが努力してゐることであらう。しかも、尚、人民が行くべき目途を定め得ず、道義はいよいよ衰へつつあるのは何が原因であらうか。政治の貧困といつた様な答は、安易な思考の落ち着く逃げ場所である。(中略)貧困な政治を生んでゐるところの我々自体の中に究明のメスを加えねばならぬのである」
——作家のペンに、希望のひかりを託していた時代があった。闇を照らすべきランプを、わたしたちは今、持っているだろうか。

2010年12月13日月曜日

文明 銷夏読書

1946

誌 名 文明 銷夏読書(6・7合併号)
通 巻 第1巻第4・5号
発 行 文明社
発行所 東京都中野区本町通六ノ一四
発行日 昭和21年7月1日
発行人 田宮虎彦
編集人 田宮虎彦
目次画 不明
印刷人 中田末男
印 刷 ダイヤモンド印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全132ページ
売 価 6円

【ひとこと】「編輯後記」に田宮虎彦がこう書いている。「第五号を編輯し終つて、いささかの感慨がある。昨年終戦後のことであつたが、当時上諏訪にゐた私に先輩某氏からこの雑誌の編輯を引き受けてみないかといふ便りがあつた。この社の社主櫻井馨氏と会つたのは九月はじめである。(中略)この社の営業部面は、櫻井商事株式会社の専務である服部隆壽氏が全面的に担当し、私は単に編輯のみに専念してゐるのである」(原文正字正かな)。ちなみに日本読書新聞社の『昭和21年度版最新出版社執筆者一覧』にも、櫻井馨は文明社の代表者として掲載されているが、どのような素性の人物であったのだろうか。

2010年12月10日金曜日

文藝春秋 春の増刊 各界スター読本

1954

誌 名 文藝春秋 春の増刊 各界スター読本
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和29年4月5日
発行人 池島信平
編集人 田川博一
目次画 横山隆一
印刷人 柳川太郎
印 刷 凸版印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全200ページ
定 価 75円(地方売価78円)

表4(ウラ表紙)
表1&4

【ひとこと】本号には、「文壇論壇毒舌採点集」のタイトルで、大宅壮一、浦松佐美太郎、河盛好蔵、高橋義孝、臼井吉見の 5人が「文化界の花形を一堂に集めての点数授与式」なる余興をたのしんでいる。花森安治もマナ板の上にのせられた。だれの発言か伏せる形式になっている。以下、評言のすべて。
—— 才人という点では相当の才人だと思うな。
—— 頭がいいよ。
—— 苦労人だよ。
—— この頃パーマをやめて、スカートやめて、ズボンになつたでしよう。白粉もやめたろう。いまに男装するよ(笑声)
—— あれは非常な常識家が大変な演出をやつたということですね。
—— 逆説的な演出ですよ。彼程逆説的な男はない。模範的な逆説ですよ。いまや八十点でしよう。

【おまけ】ちなみに本号では「軽評論家群像」のタイトルで、扇谷正造も「何が何だか分らぬのでスター」の一人として花森安治をあげ、編集者にしては一風変わった経歴を方程式にしてみせた。
花森安治=X(服飾評論家+女装的男装+福永官房長官よりも著名な松江高校の出世頭?+余白+パピリオ+チラリチクリ……)

【お知らせ】『座談』および『文藝春秋増刊』は、今回でおわりです。次回更新(12月13日)より、田宮虎彦の文明社刊行の雑誌と書籍をごらんにいれます。

2010年12月8日水曜日

文藝春秋 秋の増刊 秋燈読本

1952
誌 名 文藝春秋 秋の増刊 秋燈読本
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和27年10月5日
発行人 池島信平
編集人 田川博一
目次画 三雲祥之助
印刷人 柳川太郎
印 刷 凸版印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全192ページ
定 価 70円

表4(ウラ表紙)
表1&4

【ひとこと】大宅壮一は、文藝春秋の池島信平、週刊朝日の扇谷正造、暮しの手帖の花森安治の 3人を「ジャーナリズムの三羽ガラス」とよんだ。 それほど3人の活躍がめだったからである。なぜか。
扇谷は、週刊朝日を 150万部にのばした名編集長だが、その発展成長期の週刊朝日をみると、花森は多くの記事とカットをかいており、編集部の一員もしくは相棒ではないかと見まがうほどである。
いっぽう佐佐木茂索とともに文藝春秋を再興した池島は、新社の司令塔というべき存在であり、出版界で無名にひとしい花森安治に活躍の場を与えた。雑誌の表紙のウラおもてを描かせ、広告までも描かせ、さらに誌面のカットやコラムにまで、花森の作らしきものが見てとれる。
三羽ガラスとよぶよりも、 3人と 3誌は「三頭立て馬車」のように一体となって、戦後日本のジャーナリズムをリードしていた観がある。

2010年12月6日月曜日

座談 昭和24年2月号

1949
誌 名 座談 昭和24年2月号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和24年2月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 三雲祥之助
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全88ページ
定 価 50円

【ひとこと】池島信平は著書『雑誌記者』で、『座談』は失敗であったと書いている。内容が『文藝春秋』の二番煎じになったことを失敗の理由にあげたが、あとをついだ編集人の鈴木も苦労したであろう。企画立案者の枠組から自由になるのはむつかしい。表紙に目次をいれたからといって、他誌をまねて美人画にしたからといって、SEX 記事をのせたからといって、ひとは買うわけもないのだ。足かけ 3年で廃刊となった。花森が『座談』すべての表紙を描いていないのは確かだが、これが最終刊の表紙となったのか、つかみきれずにいる。

2010年12月3日金曜日

座談 昭和23年12月号

1948
誌 名 座談 昭和23年12月号 第2巻第11号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和23年12月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 落合登
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全70ページ
定 価 40円

【ひとこと】昭和23年 1月26日、帝国銀行椎名町支店でおきた毒物殺人事件が、この表紙絵のモチーフになっている。高田保、火野葦平、名刺の松井蔚、弁護人の山田義雄らの寄稿、生存者の村田正子と容疑者妻の平澤まさの手記、朝読毎 3紙担当記者の座談会がのっている。しかし、いまこれらを人権擁護の立ち位置からよむと、おもいは複雑だ。「ひとの痛みがわかる人間であれ」と、花森安治はつね日ごろ言っていた。
 創刊から 1年をへて表紙に変化がおきている。記事の目玉をのせるようになった。屋上屋を架す仕儀ではあるまいか。

【おわび】座談10月号の表紙で、花森安治が Nürnberg と書いていたのであれば、まちがいではありませんでした。それにしても、なぜ『ニュルンベルク年代記』だったのでしょうね。

2010年12月1日水曜日

座談 昭和23年10月号

1948
誌 名 座談 昭和23年10月号 第2巻第9号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和23年10月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 澤田正太郎
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全70ページ
定 価 35円

【ひとこと】花森がすきなランプではあるが、Amon fatiという見なれぬ語句が、なにやら怪しげな印象をあたえる。悪魔の運命と訳すのだろうか。ランプの上に描かれている町の絵の下に、きわめて小さな字で、
N6rnberg nach Hartmann Schedel 1493としるしているのも、おもわせぶりだ。 Nurembergの綴りや語順をまちがえている。目次をみても結びつきそうな内容はない。たわむれにしては謎めかしていて、どこか引っかかるところが、花森安治の巧妙さかもしれない。