2011年4月8日金曜日

文學會議 第4輯

1948

誌 名 文學会議 第4輯 詩と中篇小説特輯
編輯人 竹越和夫(1905−1982)
目次画 林武(1896−1975)
発行人 尾張眞之介 
発行日 昭和23年5月15日
発 行 大日本雄辯會講談社
発行所 東京都文京区音羽町3−19
印刷者 大橋芳雄
印刷所 共同印刷株式会社
判 型 A5判 上製平綴じ 本文共226ページ
定 価 90円


見返し

【ひとこと】敗戦後、舟橋聖一のよびかけで復活をとげた日本文芸家協会ではあったが、『文學會議』の発行には紆余曲折があった。というのも、この講談社版の前、あの青山虎之助の新生社から機関誌として『文學會議』が創刊されていたのである。しかし経営的判断からか3号で途絶する。つまりこの講談社版は出直し版であり、一般文芸誌としての再出発であった。そうなると気になるのが新生社版の装釘者である。昭和21年7月から22年1月までの間に刊行されているのはたしかだが、それが誰であったのか、小生にもわからない。

講談社版『文學會議』の編輯をしている竹越和夫について、いまや知る人はほとんどいないだろう。小説家、劇作家、演劇評論家あるいは翻訳者としての顔をもつほか、斯界のさまざまな協会役員を兼任している。まとめ役としての手腕と人望があったのだとおもう。

ちなみに講談社版は、昭和22年4月から25年7月まで、第9号まで刊行された。花森安治の装釘を第4号まで確認できている。各号の絵柄はおなじで、誌名下の特輯タイトル、号数(背の号数のまわり)、見返しの色を変えている。第5号以降の装釘は、花森ではないようだ。


ウラ表紙
表紙全体

【もうひとこと】意想外におもしろかったのが『日本文芸家協会五十年史』であった。それもそのはずで編者は巌谷大四。「あとがき」にも書いてあるが、ほんらいは和田芳恵が執筆するところを、和田の多忙と疲労困憊のため、巌谷が代役をつとめたという。和田があつめた資料を土台にしたと率直に明かし、労をねぎらっているところが気持よい。とはいえ、和田芳恵ならば如何に編んだであろうか。ヒストリーは、ストーリーでもある。きっとおもしろく語ってくれたことであろう。

1979 日本文芸家協会五十年史(箱) 装幀 巌谷純介
口絵『文學会議』がひときわ目立つ まえがきは山本健吉 

いまだからこそか、とくに興味深く読んだのは第2部戦後篇。「原水爆実験禁止を世界各国の文学者諸君に訴う」や、60年安保改定時の協会臨時総会での発言記録なども収載されている。日本の将来の命運にかかわるとき、むかしの文学者たちは活発に発言し、侃々諤々の議論をしていたことが伝わる。未曾有の大震災と原発事故に直面している日本。そこに生きる文学者は、じぶんのことばを、どのように発するのだろうか。

——『吉里吉里人』をかいた井上ひさしは、もういない。