2011年9月19日月曜日

谷川俊太郎詩集

1958


書 名 谷川俊太郎詩集 ポエム・ライブラリイ   
著 者 谷川俊太郎(1931−)
解 説 長谷川四郎(1909−1987)
発行人 小林茂
発行日 昭和33年5月5日
発 行 東京創元社
発行所 東京都新宿区小川町1−16
印刷人 広井継之助 
判 型 新書判 上製カバー 無線綴じ 本文180ページ
定 価 180円


本体表紙


奥付 (右は長谷川四郎の解説末尾部分)


【ひとこと】花森安治の装釘本のなかで、書名をゴシック体にしている数少ない一冊。「ポエム・ライブラリイ」とは、本書にさかのぼること三年前、おなじ東京創元社から刊行された全六巻のシリーズ・サブタイトルで、企画内容は主として詩論、詩についての創作論、および詩の鑑賞のしかたをのべたもの。いわゆる詩集ではなかったし、花森安治の装釘も、本書とおなじ絵柄をつかってはいたが書名は活字でなく、花森の書き文字であった。

しかるに本書で花森は、深尾須磨子『列島おんなのうた』とおなじく書き文字を選んでいない。小生の見方であるが、書き文字のあたえる印象は、詩人が表現しようとする感性よりも、強くなりかねないからではないかとおもう。いわば没個性の活字のほうが、それもあまり凝らないほうが詩集にはよくて、また明朝よりゴシックのほうが堅牢さを感じさせるような気もする。けれど活字もあしらい方しだい。微妙だ。


表紙全体

カバー全体


【もうひとこと】本書には、谷川の第一詩集『二十億光年の孤独』からも十五篇がえらばれている。そのなかに「かなしみ」と題した六行の詩がある(ひきうつしたいけれど、谷川の考えを尊重し、ひかえる)。

その詩をつくったとき、谷川俊太郎は二十そこそこの青年。いま小生は六十をすぎて、人生の「おとし物」の多さに、ことばを失ってしまう。わが身の来し方をカミングアウトし、以て過去の「汚点」をすべて帳消しにできるなら、どんなに気らくか(——なワケもないか)。


【おわび】じぶんのブログを、ときどきあとから読みかえします。すると、なぜか見つかるのです。誤字脱字や書きまちがい、あるいは同じことばをくりかえしつかうなど、 つぎつぎ瑕疵が出てきます。まことに慚愧にたえません。どうぞご寛恕のほどを。つまり、これからもやらかすにちがいありませんから、そのせつは「アホがまたやっとるわい」と、お笑いすごしください。

ところで扇谷正造さんに「誤字脱字は、ぬいてもぬいても出てくるシラガのようなもの」というセリフがありました。わたしがそのセリフを憶えているのは、いいわけの気持があるからですが、そればかりじゃないのです。信平さんのオツムは薄かった。わが花森は写真で見てのとおり総白髪。ふたりなら何にたとえるか、いつもそれを考えてしまいます。それにしてもこのごろは、漢字のバカ変換がめだちますね。三羽ガラスの時代にはなかったことでしょう。