2011年9月9日金曜日

雑誌記者 池島信平

1958


書 名 雑誌記者   
著 者 池島信平(1909−1973) 
発行人 栗本和夫
発行日 昭和33年10月6日
発 行 中央公論社
発行所 東京都中央区京橋2−1
印 刷 凸版印刷株式会社 
製 本 小泉製本株式会社
判 型 四六版 上製角背ミゾ カバー 無線綴じ 本文252ページ
定 価 250円


本体表紙

奥付


【ひとこと】花森安治が装釘に写真をつかうことは、なかったわけではない。けれど単行本のために新たに撮影したのはきわめて稀だ。編集者のつくえの上を撮ったみたいだが、むろんセットを組んでいる。つまりだれかの机を撮ったものではない。照明のライトが眼鏡やインクのふたに映っていて、だいぶ苦労したにちがいない。構図はいうまでもなく花森安治。撮影したのはだれだろうか。

写真ではあるが、書名と著者名、版元名は、花森の手になる書き文字。朱で指定を入れているのがおもしろい。で、さがしてみたけれど、指定どおりの活字で組んだところはなかった。遊びごころである。

ピースが写っている。タバコのCMすらなくなったいまじゃ考えられない写真だ。小生がつとめた70年代、花森は病気で禁煙をよぎなくされていたが、『暮しの手帖』編集部では、小生をふくめ喫煙者は多かった。「タバコは動くアクセサリー」であり「今日も元気だタバコがうまい」という時代であった。

花森は1970年、『暮しの手帖』Ⅱ世紀第5号に「たばこをのみはじめた息子に与える手紙」を書き、喫煙の害を説いた。「煙草をスマートにのむ方法は、のまないことである。お父さんは、お前を信じている」と文章を結んでいる。花森は、部下に禁煙を強いることは、一どもなかった。


表紙全体

カバー全体


 【もうひとこと】『編集者の発言』『ジャーナリズムの窓から』『雑誌記者』と、刊行順にごらんにいれた。これら池島信平の始めの著作三冊を装釘したのは、いずれも花森安治であった。池島が花森を信頼してたのんだのはたしかであろうが、その信頼のもとには、花森のセンスだけでなく、装釘姿勢を見こんだ部分があったとおもう。池島は、装釘にあたって花森が、かならず本文を読むことを知っていた筈である。

昭和48年6月、池島信平なき後、文藝春秋はその功績を賞揚し、『池島信平文集』(謹呈版) をつくった。そこには上記三冊におさめた著述を主にのせていた。編集者冥利につきるとおもう。


1973文藝春秋刊 布装 上製函入り 表紙・背型押し 口絵共全448ページ