2011年7月1日金曜日

第二の性 女はこうしてつくられる ボーヴォワール

1953


書 名 第二の性(第1巻) 女はこうしてつくられる   
著 者 シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908−1986) 
訳 者 生島遼一(1904−1991) 
発行人 佐藤義夫
発行日 昭和28年4月10日
発 行 新潮社
発行所 東京都新宿区矢来町71
印 刷 東日本印刷株式会社
製 本 京橋加藤製本所
判 型 B6版 上製角背ミゾ平綴じ 本文292ページ
定 価 250円(地方売価260円)


本体表紙


奥付


【ひとこと】「人は女に生れない。女になるのだ」
——本書第一章幼年期の冒頭、このことばがボーヴォワールの存在を日本中に知らしめた。自立した女性(人間)として、サルトルと互いに啓発しあう関係は、男女の新しいあり方として、とくに日本の女性に、大きな影響をあたえた。女という存在を、男のことば(理クツ)で語る方法を、女が学んだと言っていいだろう。

ただしその同じころ、日本の若い男たちの多くは、口先では新しいようなことを言ってはいたけれど、唐獅子牡丹の高倉健と緋牡丹お龍の藤純子に、じつは心酔していた。あれから40年——。

NHK連続ドラマ『てっぱん』で、久しぶりにお龍さんをみた。富司純子の演技が、ドラマ全体をひきしめていた。とりわけ彼女の手の表情がいい。その両の手は、まぎれなく家事にいそしんでいた手だ。すがた動きが美しい。花森安治最後のエッセー「人間の手について」(1978年『暮しの手帖』第2世紀52号)を想いださせた。


表紙全体

カバー全体


【もうひとこと】訳者の生島遼一は大阪生れ。京都帝大を卒業し、旧制三高教授をへて京大教授になったフランス文学者。じつは旧制松江高校の出身で、花森安治の先輩にあたる。この『第二の性』は全五巻、それぞれ副題を「女はこうしてつくられる」「女はどう生きるか」「自由な女」「女の歴史と運命」「文學に現われた女」としている。

全五巻ともに花森安治の装釘であるが、カバーは前三巻と後二巻でちがう。さらに各巻は、カバーの上にさらにセロファンの透明カバーもかけられている。帯とおなじ役割をはたしているが、下掲のように文字が絵と重なり合って、成功しているとはいえない。セロファンの印刷は当時としては新技術で、どのようなものか、あがり具合を見たかったのかもしれない。


セロファンのカバー 「女はどう生きるか」「自由な女」各オモテ
セロファンのカバー 「女はどう生きるか」「自由な女」各ウラ