2011年8月22日月曜日

貝のうた 沢村貞子

1978


書 名 貝のうた   
著 者 沢村貞子(1908−1996) 
発行人 大橋鎭子
発行日 昭和53年4月20日
発 行 暮しの手帖社
発行所 東京都港区六本木3−3−1興和ビル
印刷人 北島織衛
印 刷 大日本印刷株式会社
判 型 B6版 上製丸背ミゾ平綴じ カバー 本文224ページ
定 価 850円


本体 表紙


目次 扉

目次

本文 組体裁

奥付


【ひとこと】暮しの手帖社からでた沢村貞子の二冊め。じつは昭和44年に講談社が版行し、絶版となっていたものを、花森安治の装釘で暮しの手帖社が再版した。花森が沢村に関心をもったのは、講談社版を読んだのがきっかけのようだと、あとがきに書いている。

本書の装釘には、花森安治の描き文字もさし絵も、まったく使われていない。文字はすべて明朝体であり、その大きさと組み方に、花森の装釘の美学がある。淡い水色を基本色につかっているせいか、一見弱々しく感じるが、沢村のけれんみのない淡々とした語り口には、かえって清々しく凛としているし、説明的なさし絵ならばないほうがいい。

なお、本書ができあがったのは、花森安治がなくなったあとであった。


本体 表紙全体

カバー全体

【もうひとこと】本書は沢村の自伝的エッセイである。一冊めの『私の浅草』とともに脚色され、NHK朝の連続ドラマ『おていちゃん』として放映された。昭和七年、治安維持法下の日本で、マルキストと結婚しただけの理由で逮捕され、一年以上にわたって留置場と刑務所に拘束された実体験がつづられている。当時の思想取締りがいかに理不尽であったか、現在の「自由社会の権利意識」の尺度をもって測っては、想像しにくい。

暮しの手帖研究室に、沢村はたまに顔を出した。夫君の大橋恭彦が「テレビ註文帳」のページをまかされていたこともあって、花森のごきげんうかがいのようにも見えたが、やわらかな物腰のおくに芯の強さを感じさせ、小生など弱輩は容易に近づけなかった。

暮しの手帖社からの第一作『私の浅草』はミリオンセラーとなり、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。沢村の文章力には天性のものがある。人生の修羅場をくぐりぬけて得た者の、したたかさとやさしさがある。八月十六日が祥月命日であった。