2016年1月14日木曜日

風俗時評(文庫版)

文庫版カバー・オモテ 2016


書 名 風俗時評
著 者 花森安治(カバー本文扉イラスト)
解 説 岸本葉子
発行日 平成27年12月20日
発 行 中央公論新社
発行所 東京都千代田区大手町1−7−1
印刷所 三晃印刷(DTP平面惑星)
製本所 小泉製本
判 型 文庫 本文164ページ
定 価 620円+税


きょう1月14日は花森忌。
花森安治の祥月命日で、なくなってから39回めにあたります。まえに書いたことですが、花森忌とは小生がかってにつけたもので、正式な忌日名ではありません。ハナモリという姓もじゅうぶん詩的ですが、どなたかセンスある人に、花森安治にふさわしい、詩を感じさせる忌日名をつけてほしいものです。

ご案内のように、この春始まるNHK朝の連続ドラマ「とと姉ちゃん」は、暮しの手帖創業者の大橋鎭子さん姉妹がモデルです。ドラマ後半は戦後の活躍がえがかれ、花森安治(ドラマでは花山伊佐治)の協力をえて出版社をたちあげ、暮しに役立つ雑誌をつくります。鎭子さんの奮闘ぶりもさりながら、小生には世紀の天才編集長のしごとぶりがどのように演出されるか、ドラマでは花森がえがいた表紙絵なども映され、その才能がリアルに表現されると聞いて、いまから興味はつきません。

「とと姉ちゃん」の放送にあわせて、花森安治の著書や関連本がつぎつぎと文庫化されます。
花森安治著『逆立ちの世の中』(中公文庫)
津野海太郎著『花森安治伝』(新潮文庫)
馬場マコト著『花森安治の青春』(潮文庫)
長尾剛著『大橋鎭子と花森安治』(仮題・PHP文庫)
歴史読本編集部 『大橋鎭子と花森安治 戦後日本の「くらし」を創ったふたり 』(仮題・中経の文庫)
船渡俊介著『評伝花森安治』(仮題・イースト・プレス)
大西香織編『花森安治 美しい「暮し」の創始者 増補新版』(KAWADE夢ムック)
著者不詳『大橋鎭子 花森安治と創った昭和の暮らし』(三才ブックス)
塩澤実信著『大橋鎭子と花森安治「 暮しの手帖」二人三脚物語』(北辰堂出版)


「おまえがか!」といわれそうで恐縮ですが、じつは拙著『花森安治の編集室』も文春文庫として出してもらえることになりました。二十年まえに書いた本をよむと、文章も内容も若書きゆえの粗雑さがめだち、くじけそうになります。しかし秘密保護法や安全保障関連法を成立させ、立憲主義を無視するアベ政権によって憲法を変えようとされる今、花森がいのちをかけて守ろうとした民主主義と平和な日々の暮しへのおもいを伝えることに、拙著がわずかでも力になればと念じています。



文庫版カバー(オビ)・ウラ面

【ひとこと】
本書『風俗時評』は、ラジオで放送した花森の話を速記でおこして文章化したもの。だから読んでいるうち、小生には、編集部で花森が口述して筆記させたときの声と話のリズムがそのままよみがえり、とてもなつかしかった。花森の話術と人柄がよくわかる本である。こんかいの文庫は黒ではなく、白を基調としたカバーになり、花森らしさが出ていてよかった。

2015年12月6日日曜日

花森安治 calendar 2016

タテ515×ヨコ300ミリ 13枚つづり


ことしもまた新しい花森安治カレンダーをちょうだいした。
『暮しの手帖』の表紙を飾ったときよりも大きく、ていねいに印刷されており、ハッと目をひく。うつくしい。瞬間こころが躍る。深く感謝しています。

表紙につかわれているのは、1970年 2月発行『暮しの手帖』2世紀第4号の表紙。どこかイスタンブールの街なみをおもいおこさせる。けれどそこに描かれたかわいい花々から、小生の連想は、江間章子『花の街』の歌にとんでしまう。


七色の谷を越えて
流れて行く 風のリボン
輪になって 輪になって
かけていったよ
歌いながら かけていったよ

美しい海を見たよ
あふれていた 花の街よ
輪になって 輪になって
踊っていたよ
春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で
泣いていたよ 街の角で
輪になって 輪になって
春の夕暮れ
ひとりさびしく ないていたよ


かつてこのブログで、花森が装釘した川奈美智子著『こんな日こんなとき』を紹介した。そこに小生は、川奈美智子についてよくわからない、と書いた。じつは川奈は江間章子とおなじ生年で、ともに駿河台女学園に学んでいる。そして江間は大政翼賛会で花森とともに国策に協力従事していたのであった。江間は戦後、翼賛会で働いた過去をふかく恥じていたにちがいない。ほとんど語らなかった。

小生が暮しの手帖社に入社してまもなく、新人のために歓迎会を中華レストランの王府でひらいてくれた。いまだ忘れ得ないのは、新人を代表させられ、余興に歌をうたわされたことだ。カラオケなんかない時代である。

小生はひとつ覚えの『夏の思い出』をアカペラでうたった。江間章子の代表作であることは知らなかった。歌い始めたら宴の空気がいっきに沈むのを感じた。やはり場違いだったか、と小生は「誤解」した。——そうではなかった。小生は、花森の過去に、なにも知らずに侵入していたのであった。

「ひとの痛みをわかる人間であれ」
——花森のそれが口ぐせであった。
沖縄の人々の、からだとこころから、戦争の傷と痛みは、いまだ消えていない。米軍基地があるかぎり、消えることはないであろう。


<ミニカレンダー>
タテ150×ヨコ150ミリ 14枚つづり

ことしは卓上版にかえて、上掲のような小さいながら壁に掛けるミニカレンダーが用意された。小さいから掛けられる場所がかくだんに増す。ありがたい。
花森安治カレンダー2016についてお問合せとお求めはグリーンショップまで。下記をクリックすると花森安治グッズのコーナーです。
http://shop.greenshop.co.jp/i-shop/category_l.asp?cm_large_cd=25



2015年10月25日日曜日

林達夫著作集5 政治のフォークロア

林達夫著作集5 函オモテ


書 名 林達夫著作集5 政治のフォークロア
著 者 林達夫(1896−1984)
装 釘 原 弘
発行者 下中邦彦
発行日 昭和46年2月25日初版第1刷
発 行 平凡社
発行所 東京都千代田区三番町5
印刷所 東洋印刷株式会社
製本所 和田製本工業株式会社
判 型 B6判 並製函入り 本文370ページ
定 価 1800円(初版第13刷)


《かつてファシスト教育理論家の一人ガブリエリは、「ファシズムは一つの新しい教育理論である」と言った。そのわけはファシズムは「国家によって教育される人間」という新しい型の教育理想を完全に実践に移した革新的理論であり、かかることは従来の旧い伝統と偏見とに充ちた痛風的な教育の到底なし得なかったことだというのである。》

《人が克服しえないと考えたこの積弊を打破したところに、(即ち自由主義的、ブルジョア民主主義的教育を一掃して、教育を完全に「国家」に、ブルジョアジーの独裁に公然と従属させたところに、)彼はファシスト教育の功績を認めているのだ。》

《だが、(略)彼のいわゆる「国家によって教育される人間」とは事実においては「強力によって片輪にされる人間」のことであり、「支配階級の完全な道具にされる人間」のことである。》

《かかる片輪の道具=人間を作る教育がもし「理想の教育」であるならば、人間の教育は警察犬や軍馬の「訓練」と少しも異なるところがないだろう。》


うえの引用は、本書に収載された「イタリア・ファシズムの教育政策」と題する評論からで、解題によれば初出は岩波書店昭和7年11月に発行された『教育』とあります。つまり今から83年もむかしに書かれています。しかし、あたかも現政権下の日本に起こりつつあるような、いかにも身につまされるような気分に、あなたも、なりはしませんか。

——わたしに林達夫の存在と文章を意識するきっかけを与えてくれたのは、花森安治でした。まだ二十歳代であったわたしは、『暮しの手帖』の文章に日夜どっぷり浸っているうち、そのとりすましたようなお行儀の良さがどうにもがまんできなくなり、ある日の編集会議で「明治人の文章」というようなテーマでプランを出し、一例として北村透谷の文章をあげて音読したことがありました。

そのとき花森は、「 そうだなあ、キミなんか、ハヤシタップを読んだほうがいいんじゃないか。ハヤシタツオは若い人にもっと読まれていいとボクなんかおもうけどな。読んでごらん」と笑いながらこたえ、プランはもちろん却下でした。

きょう10月25日は、花森安治の誕生日。生誕104年にあたります。
その記念の日に、なにか花森にまつわることを書いてしのびたいとおもい、いろいろ考えあぐねましたが、けっきょく林達夫にゆきついてしまいました。編集会議のときの花森のおだやかな声が、どうしてもよみがえるのです。

現政権は、若者たちの活字離れのスキをついて、自由な学問と言論、教育を蹂躙しようとしています。SEALDs への対抗策として、教育への政治圧力はさまざまな手段と方法でさらに露骨になるでしょう。いまのアベ政治は、まさに戦前のファシズムに回帰しようとしているとしか見えません。

——花森の『暮しの手帖』の文章は、ただ平易で簡明なばかりでなく、しっかりした思想と哲学によって裏打ちされ、リファインされていました。その文章作法を培うためのいわば肥料として、花森は林達夫の文章をすすめてくれたのだとおもえます。ここに紹介したのは、林達夫の「爪の垢」にすぎませんが、これだけでも煎じて飲む価値はありそうです。ジャーナリズムにかかわる人々には、林達夫がのこした文章を、幅広く読んでほしいものです。クレバーな為政者は、つねに過去の歴史のやり口に学んでいます。


【蛇足】いま古本業界では全集物の価格がたいへん下がっています。平凡社『林達夫著作集全6巻・別巻書簡1』は、学生のお小遣いで買えるお値打ち全集。早い者勝ちです。


2015年9月17日木曜日

樹をみつめて

2006



書 名 樹をみつめて
著 者 中井久夫(カバー写真とも)
発行日 平成18年9月20日
発 行 みすず書房
発行所 東京都文京区本郷5−32−21
印刷所 本文 三陽社 扉・表紙・カバー 栗田印刷
製本所 青木製本所
判 型 四六判 上製カバー 本文268ページ
定 価 2800円+税



《戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない》

《今、戦争をわずかでも知る世代は死滅するか現役から引退しつつある》

《戦争はいくら強調してもしたりないほど酸鼻なものである。しかし、酸鼻な局面をほんとうに知るものは死者だけである》

《時とともに若いときにも戦争の過酷さを経験していない人が指導層を占めるようになる。長期的には指導層の戦争への心理的抵抗が低下する。その彼らは戦争を発動する権限だけは手にしているが、戦争とはどういうものか、そうして、どのように終結させるか、その得失は何であるかは考える能力も経験もなく、この欠落を自覚さえしなくなる》

 ——その結果、
きょう平成二十七年九月十七日、参議院特別委員会でまた、わが国の憲政史上にひときわ大きな汚点がしるされた。安倍政権は、主権者である国民の声を無視して、戦争法案を強行可決した。


上の《》にくくった文節は、中井久夫著『樹をみつめて』におさめられた「戦争と平和についての観察」からの引用です。初出は平成十七年九月、すなわち中井先生はすでに十年前、戦争を知らない世代がおこすであろう愚挙を予見されていたことになります。中井先生が予見できたのは、特殊な予知能力によるものでは、むろんありません。学者としての誠実な探求と知見をとおして、古今東西につうじる<真理>を導きだされたのです。中井先生のこのエッセイは、政府与党が公述人として招致した曲学阿世の徒の無知蒙昧ぶりとは、まさに対極にあります。学問とは何かがわかります。

わたしは昨年の夏、このブログでNHKの報道姿勢の偏向を問いました。しかしこの一年の政府偏向ぶりはひどくなる一方で、昨夜からきょうにかけての報道はその頂点に達したとおもえました。とりわけ政治部の田中泰臣記者の政権阿諛追従ぶりには、腹立たしさを通りこして、憐れすらもよおしました。だまし討ちを謀った鴻池委員長とともに、その名を末代まで辱めることに、はたして気づいているのでしょうか。

こんかいの戦争法案が、いったいだれのためか、だれを守るものか、この中井先生の著述には的確にしめす一節がひそんでいます。

《イラク戦争においても、米軍がバグダッドに迫ったときには兵站線が伸びきって補給が追いつかず、飲まず食わずに近い状態であったという》

わたしたち日本人は、太平洋戦争の敗因のひとつは兵站(武器弾薬および食料補給)の枯渇にあり、米軍の豊富な物資にまけたと思い込んでいます。つまりそれが先入観としてあって、米軍への後方支援(兵站)がさも容易であるかのように錯覚させてはいないでしょうか。いまの米軍はちがうのです。終りのない戦いで、モノ・カネ・人がたりません。

政府は兵站の容易ならざることを知っています。だからこそ「非戦闘地域にかぎる」という文言を法案から外し、国民の目をあざむいて、「後方支援」というあいまいな名目で、自衛隊をどこにでも派遣できるようにしたいのです。

この一事をもってしても、こんかいの法案が、日本の安全保障であるかのようにみせかけた、米軍のための戦争法案であることが明白です。イラク戦争の時、NHKの報道記者がフリーランスにたよらず、みずからが戦場に立って取材していれば、「後方支援」のまやかしがすぐにわかったはずです。上からああ言えこう言えと指示されて、台本どおりに報道するのならば、それはジャーナリズムではありません。記者という職責への侮辱です。田中記者は自らに問い、もっと深く悩むべきです。


きょうはこころがざらついて、よけいなことを書きすぎた気がします。要は、中井先生のこの本を、みなさんにお薦めしたかったのです。かつて中井先生はわたしに、花森安治の編集手法の特質は「親試実験」にあった、と指摘してくださいました。ひとのことばを鵜呑みにするのではなく、みずから確かめることが大事ということです。なにかおかしいと感じたら、なぜだろうと考える。まずはそこから始まるのでしょう。奥田くんの公述に感動したなら、集団催眠にかかっているかのような政府与党のおかしさを、いったいなぜなのかと疑いつづけるべきでしょうね。わたしのおもうところ、戦争法案をあくまでも違憲ではなく合憲と主張しなければ、国会議員としての「法的安定」を否定することになるからでしょう。

十九日未明、戦争法案は参議院でも自民公明与党らの賛成多数によって可決され、法律として成立しました。この瞬間、政府与党だけでなくすべての国会議員は、憲法違反者の集団と化したのではないでしょうか。この状態を正すのが司法に課せられた役割です。はたして司法は、憲法を遵守するでしょうか。

【日本国憲法】
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。


「安全保障関連法に反対する学者の会」
9月20日 学者の会抗議声明100人記者会見
https://www.youtube.com/watch?v=QkIeX62Ywfc&feature=youtu.be 




2015年8月6日木曜日

はだしのゲン

1975

書 名 はだしのゲン 第一巻青麦ゲン登場の巻
著 者 中沢啓治(1939−2012)
解 説 尾崎秀樹(1928−1999)
発行人 今田 保
発行日 昭和50年5月12日(初版)
発 行 汐文社
発行所 東京都千代田区外神田2−3−2
印刷所 東銀座印刷出版株式会社
判 型 B6 並製カバー 本文276ページ
定 価 480円(但し初版発行時)


 「唐澤クン! 机の上でちゃんと読め!!」
——花森安治のするどい叱声に、わたしは跳び上がりそうになった。花森はそんなわたしにおかまいなく、もう背を向けて、歩きさっていた。その時わたしは『はだしのゲン』を机の下にかくすようにして、無我夢中で読みふけっていたのだった。

四十年前の夏、暮しの手帖編集部でのことだった。
読者感想文のページ「私の読んだ本」担当者の机のうえに、つぎの号で紹介される本がつみあげられており、その中の一冊が中沢啓治著『はだしのゲン』であった。しょうじきいえば、わたしはすこぶる怪訝であった。マンガなんか本ではない、と浅はかな考えをしていた。

当時、マンガブームであった。わたしとおなじ年ごろの男たちが、電車の中でアタッシュケースから週刊漫画誌をとりだし、はじらうふうもなく読みふける光景を、わたしは苦々しくおもいながめていた。オレはそんなみっともないマネはしないぞ!

そんなわたしだったから、しかも勤務時間中であり担当でもなかったから、『はだしのゲン』がどんな内容なのか知ろうとして、ついつい机の下にかくすようにして、こっそり読みはじめたのだった。目がクギづけになった。ページをめくる手が止まらない。我を忘れて読んでいたとき、通りすがりの花森がわたしのその卑屈な姿を目にとめて言ったのだ。

わたしは恥ずかしく、机の上において読み続けることはできなかったけれど、すぐに書店で刊行されていた4巻まで買いもとめ、うちで正座して読みとおした。花森の「ちゃんと読め」の叱声が耳にのこり、なにより著者中沢啓治にたいして、もうしわけないとおもう気持があった。


暮しの手帖 Ⅱ世紀38号 「私の読んだ本」のページ


感想文を投稿した原孝子さんは、末尾にこう書いている。
《私は、「はだしのゲン」はマンガでしか描かれなかったと思う。井伏鱒二の「黒い雨」におとらぬ作品だと思う。この「はだしのゲン」は、わが家ではじめて親と子の「共有」になった本といえる。》

それから四十年、当時は独身だったわたしも二児の父親になっている。愚息らも小学生になると、すすめたわけではなかったが、ふたりともかってに本棚からとりだして、いっしんに読んでいた。わが家でも父子ではじめて「共有」する本になった。

子どもは深く感動すると、あたかも放心しているかのように、しばらく無言になることにそのとき気づいた。今夏『はだしのゲン』は再刊されるという。親子で読みついでいってほしい本である。国民を欺こうとする為政者にとって、いちばんつごうの悪いものは、いつの世も<真実>である。


カバー裏 1975年当時の著者像と談話



【もうひとこと】
残念なことにわたしたちは、あくまで立憲主義を否定する安倍政権下で戦後七十年をむかえ、広島に原爆が投下された日をむかえることになった。しかし、平和を築き保つことは、もとよりたやすいことではない。「ペンは剣よりも強し」を信じ、わたしもあきらめない。志をおなじくする人々は、たくさんいる。自民党や公明党にだって、きっといてくれると信じたい。良心にしたがおうとせず、強者に言われるまま生きるのは、それは自ら人権を放棄した<奴隷>にすぎない。

花森安治の声が聞こえる。「日本国憲法をちゃんと読め!」

第九十九条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。