2011年5月22日日曜日

【森の休日】第4回 縞帳 

わたしの中学生時代からの友人に村山洋介がいます。
京都の町家で集芸舎という工房をいとなむ村山は、もう着られることのなくなった古い着物や帯を、屏風や壁掛け、文具や小物などに再生するしごとをしています。さすが「着倒れ」と称される京都で、西陣織に長年たずさわってきた洋チャン。よいところに眼をつけました。昭和24年12月発行の『美しい暮しの手帖』第6号のグラビアページに「端布を貼りまぜたびょうぶ」がトップを飾っています。

週刊朝日 昭和26年7月8日号 1951

花森安治の装釘をみる上で、わたしは洋チャンからとても重要なヒントを与えられました。 織物の業界で40年もしごとをしてきた洋チャンは、職人の眼で、花森の表紙を見ていたのです。その一つが、絣の端布をならべた『週刊朝日』昭和26年7月8日号の表紙。洋チャンはそくざに「こりゃもう縞帳(しまちょう)ですな」と指摘しました。

縞帳とは、機(はた)織りの織子さんが、じぶんの織った生地の柄をのこすため、その端布をはりつけた帳面のことです。いわば織柄見本帳といえる縞帳は、織子さんの生涯の作品集のようなもので、同じものは二冊とありません。機織りが盛んだった戦前は、縞帳が全国の織物産地の織子さんの手もとに保存されていたようです。

発行日 昭和27年9月1日
縞帳はいまでは稀少で、伝統工芸の遺産として高く評価されています。そんなことを洋チャンに教えられ、はじめて知りました。

しかし、じつはわたしの不覚。まさに灯台下暗し。花森安治は縞帳をちゃんと紹介していたのです。ひだりの昭和27年9月発行の『美しい暮しの手帖』第17号がそれでした。解説構成は染織家の柳悦孝(柳宗悦の甥)。日本の縞柄の美しさを、わざわざ特漉きのアート紙をつかってグラビアで見せていました。


美しい暮しの手帖 17号「縞帳」のページより一部分


或る山村共同耕作の記錄 1944
端布をつかった装釘についてさきのブログで小生は、花森安治と佐野繁次郎のちがいにふれましたが、料理にたとえれば、花森は素材をそのまま引き立たせることにおいて日本料理、佐野は素材を融合させる妙においてフランス料理——そんなふうな違いがあるといえるでしょう。

フランス料理派からみれば、花森の表紙は、どこにも芸術的創意が感じられないかもしれません。しかし無作為にひとしいゆえに、井戸茶碗に美を発見した利休と同じこころが、感じられるのではないでしょうか。おそらくそれは、

掌の性 1946
ごはんで育った日本人の多くが共感できる心性だと、わたしはおもいます。

花森安治の表紙で端布をつかっているのは、すでに拙ブログで紹介したように、戦争中の『或る山村共同耕作の記錄』と、戦後すぐの『掌の性』。
しかしこの二冊は、どちらも実物の端布ではなく、花森が絵に描いたものでした。絣の縞柄につよい愛着があったことがわかります。

絣は、絹織物ではなく、庶民がふだん着にした木綿の生地で、民芸運動の柳宗悦は「日本の織物として最も誇りうるものの一つ」と賞賛しています。


田村泰次郎選集 第一巻 1948
花森安治が、実物の絣の端布をならべ、それを写真にとって表紙にしたのは、右の『田村泰次郎選集第一巻』がおそらく最初でしょう。

いっぽう佐野繁次郎は、みずのわ出版『佐野繁次郎装幀集成』によれば、早いのは昭和10年(1935)の改造社発行『俳句研究』の表紙、そして昭和15年(1940)、おなじく改造社版『新日本文學全集』のカバーに端布をつかってデザインしています。

本や雑誌の装釘に端布をデザインしたのは、佐野繁次郎が先でした。


花森安治が、デザインにかんして佐野繁次郎から学んだことは、きっと多かっただろうと、わたしもおもいます。才能と感性がゆたかであればあるほど、乾いた土地に水がしみこむように、佐野の技術や知識は、花森にとって成長の大きな糧になったことでしょう。

しかし、まなぶことはまねぶこと、と言われるものの、花森安治はいつも「じぶんなら如何にするか」を考えたでしょう。マネで終われば、成長はありえません。花森の向上心は、佐野とはまるで真逆のような技法をとらせたのではないでしょうか。花森の表紙には、佐野のような芸術的な創意あるいは作為が感じられません。しかしそれゆえに見る者は、小さな端布そのものに注目し、それぞれの美しさに気づかされます。


暮しの手帖 第81号 1965

ちなみに花森安治は、『暮しの手帖』第2世紀第15号で、グラビア14ページにわたって佐野繁次郎のパピエ・コレ(紙に、紙やきれをはって絵をつくる)を掲載しています。そのなかで花森は「佐野繁次郎にいわせると、キュウビズムの傑作はセザンヌじゃなくて、ピカソのパピエ・コレじゃないかと、いっている」と紹介するとともに、「芸術は、結局、その作者が個性をもっているかいないか、ということだともいえる」と、のべていました。昭和46年(1971)のことです。

【お知らせ】次回の森の休日は、花森安治『一戔五厘の旗』をとりあげます。やはり洋チャンから教えられたことで、こんどは上杉謙信に話がおよびます。おしゃれな戦国武将と花森安治の、時代をこえた<男の美意識>対決かもしれません。

下記が集芸舎のホームページです。京都におでかけのせつは、店をのぞいてみませんか。