1948 |
書 名 斜陽日記
著 者 太田靜子(1913−1982)
発行人 高橋福雄
発行日 昭和23年10月15日
発 行 石狩書房
発行所 東京都芝区新橋2−30 織田ビル
印刷者 川上貞司
印刷所 鉄道弘済会印刷工場印刷製本
判 型 B6判 上製平綴じ 口絵写真共本文258ページ
定 価 130円
ウラ表紙 |
扉 |
表紙全 |
【ひとこと】では、とても本書の背景はかたれない。
作家の太田治子が、『暮しの手帖保存版Ⅲ花森安治』(暮しの手帖社2004年刊)に、つぎのように書いている。
——父太宰治の小説『斜陽』のもとになった日記である。この日記を書いたことでひとつの小説が生れ 、娘の私が生れることになった。未婚の母として女手ひとつで子供を育て上げた母のくるしみは、母の死と共にいよいよはっきりとこちらの胸に沁みてきた。母のよろこびもかなしみも、花森さんの表紙の糸巻がひっそりと静かにレクイエムを奏でているように思われた。——
赤い糸が印象的だ。中島みゆきに「糸」と題する佳曲がある。
——縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます——
赤い糸は、男女の縁を結んだだけではなかった。
母と娘を結び、父と娘を結ぶ、いのちの糸でもあった。
奥付 |
巻末掲載の出版広告 |
【もうひとこと】昭和23年 6月13日、太宰治は玉川上水で、もうひとりの愛人の山崎富榮と入水自殺を図った。そのとき太宰は朝日新聞紙上で『グッド・バイ』を連載中で、担当していた学芸部記者こそ前回紹介した『新世界の顔』の末常卓郎なのであった。末常にしてみれば、太宰にうらぎられたようなもの。治子と共に捨てられた太田静子に、深く同情したのではなかろうか。本書の版行と花森安治が装釘した背景には、末常卓郎の尽力が大きかったようにおもえる。山崎富榮の手記を同時に出版した石狩書房は、まもなく消滅した。