1955 |
書 名 あちら話こちら話
著 者 獅子文六(1893−1969)
発行人 野間省一
発行日 昭和30年4月5日
発 行 大日本雄弁会講談社
発行所 東京都文京区音羽町3−19
印 刷 慶昌堂印刷株式会社
印刷所 東京都文京区関口町149
製 本 大進堂製本
判 型 B6判 上製 カバー 無線綴じ 本文198ページ
定 価 200円
表紙 |
扉 |
奥付 |
表紙全体 |
【ひとこと】獅子文六——演劇界では、本名の岩田豊雄で活躍した。戦時中、岸田國士、久保田万太郎といっしょに文学座を創設しているが、その座名を考え出したのが岩田といわれている。以前、田宮虎彦の文明叢書、森本薰『女の一生』でもふれたけれど、花森安治の装釘のしごとは、戦前戦中からの人脈につながっているばあいが多い。そこになにか特徴的なことを見いだすとしたら、ものの見方や考え方に、花森が共感できる部分のある人々ではないか。獅子文六もその一人であったとおもう。たとえば本書の「一番たべたいもの」は、こんなふうに始まる。
私がいま一番食べたいものを、左に列記する。
一 ヒジキと油揚げの煮たの。
一 ゼンマイの煮たの。
一 キリボシの煮たの。
一 ナッパの煮たの。
われながら、貧乏くさい食物ばかりで、恐縮であるが、そういうものがウマく、そういうものが食べたいのだから、仕方がない。
そんなものなら、誰にでも料理ができるから、不足はなかろうと考える人もあろうが、どう致しまして、ヒジキやゼンマイやキリボシを、上手に煮て食わして貰ったことは、一度もない(後略)。
獅子文六の、いや世のすべてのオトコの、このささやかな願いを叶えようとしたのが花森安治であった。『暮しの手帖』でいう第Ⅰ世紀には、いわゆるもてなし料理でなく、日々のおそうざいの作り方が、松本政利の美しい写真入りで数多く紹介されている。その懇切ていねいな記事づくりは、大江健三郎も認めたという。オトコが台所に抵抗なく立てるようになったのは、じつはとても大きな出来事と言わねばならない。
カバー全体 |
帯をまいたところ(いちばん下に講談社と記載) |
【もうひとこと】花森装釘の本にしては珍しくオビがのこっていた。ほかの本でもオビをつけたのがあったのかもしれぬが、なにせ古い本ばかりで、元来ついていたのが失われたのか、はじめからつけてなかったのか、はっきりしない。
前にも書いたけれど、花森安治は本にオビをつけるのを好まなかった。オビで表紙がかくれてしまうからだ。しかし、本書にかぎっては、やむなき故障が生じたからではないか。見てわかるとおり、表紙にもカバーにも、講談社の版元名が、なぜか記されていないのである。さて、どうしたものか。窮余の策としてオビをつくり、そこに版元名を記載することにした、とも考えられるが、それにしても背の部分のいちばん下に、小さく講談社と入れているのみ。なんだか意地の張り合いに見えてしまう——これすべて小生の憶測。