1951 |
書 名 鉛筆ぐらし
著 者 扇谷正造(1913−1992)
発行人 大橋鎭子
発行日 昭和26年9月30日
発 行 暮しの手帖社
発行所 東京都中央区銀座西8−5
印刷人 青山與三次郎(本文)・鈴木信司(表紙 有恒社)
印 刷 青山印刷株式会社
印刷所 東京都港区芝愛宕町2−85
製 本 清水茂登吉
判 型 B6版 上製 無線綴じ 本文268ページ
定 価 180円
扉 |
目次 |
奥付 |
【ひとこと】小紋といった趣の表紙である。たとえば背表紙につかっている臙脂を地色に、表紙の小紋柄を全体にあしらったネクタイをおもいうかべる。そいつを白無地のワイシャツに結び、ヘリンボーンのツイードのジャケットをはおってごらん。とてもシックでオシャレだ。扇谷正造いわく「新聞記者は身だしなみがだいじ」。
扇谷は、発行部数10万部の『週刊朝日』を150万部にのばした名編集長である。週刊誌の鬼と称されたごとく、その編集姿勢は自他に対しとても厳しかったといわれ、さしもの花森安治も一目おいていた。部下がミスると、「オマエなんか屋上から飛びおりて死ね」と怒鳴るのだから、いまならパワハラで訴えられかねないだろう。なぜそんなに厳しく当たるのか、扇谷がワケを書いている。外面如夜叉内面如菩薩——。
しかし全体をとおしてユーモアにみちた記者生活雑記になっており、随所でふきだしてしまうこと請け合い。新聞がおもしろくなくなったのではない。扇谷のようなおもしろい記者がいなくなったのだ。もっとも池島信平にいわせると、それは「ないものねだり」なのだそうで、きょうに始まった話ではなさそうだ。
表紙全体 |
【もうひとこと】表紙の書名と著者名のおきかたにも注目すべきであろう。「鉛筆暮し」としてよさそうなところを「鉛筆ぐらし」とした。ふつうなら「扇谷正造」とするところを「扇谷正造著」とした。「暮し」をかなで開いて書名を五文字にしたことで、印象が柔和になった。名前にあえて「著」をつけて五文字にしたのは、書名とのバランスを考えてのことだろう。細かいところに花森安治の神経がゆきとどいている。
【さらにひとこと】大宅壮一は、池島信平、扇谷正造、そして花森安治の三人を「戦後ジャーナリズムの三羽ガラス」と称揚した。三人は、東大卒エリートとして共通しているが、じつはいずれも一兵卒として応召し、苦しい戦場体験をもつことでも共通していた。軍事教練をすなおにうけていれば、三人とも士官になれる可能性があったにもかかわらずである。
扇谷は花森を「ハナ」とよび、花森は扇谷を 「オウギヤ」とよんだ。としうえで先輩だからであろうが、ふたりは池島を「シンペイさん」とよんでいた。ふだんの呼び方で、つきあいの濃さがわかる。花森安治の人生は、とかく誤解されがちであった。けれどその友をみれば、おのずとその人柄が察せられるのではあるまいか。