いつのころか、本を買ったとき、店のカバーでくるんでもらうのを断るようになっていました。読むのは部屋の中ですし、読むときはカバーや帯はじゃまで、はずしています。店のカバーをかけてもらうのは、ムダというよりも、自分にはもったいない、という感じがしてしまうからです。だから、花森安治デザインの書店用カバー(書皮)というものがあると知ったとき、ちょっと驚きました。
大阪屋特製書店用カバー(右開きの表紙) |
その書店用カバーは、書籍取次業の大阪屋が有償でつくっており、いまも日本の町の本屋さんのそこかしこで使われています。書店によっては店名を印刷したカバーもあるとかで、もしかすると、このブログをみてくれている人が買った本にも、かけられているかもしれません。
カバーをかける前の広げた状態 |
このカバーは、おなじデザインで、大きさのちがう2種類があります。B5判以下の雑誌や書籍用と、新書や文庫版用です。左右どちら開きの本や雑誌にも合うように配慮されており、ごらんのように花森安治らしいイラストで構成されていて、さながら花森安治オリジナル・カバーといったおもむきです。サインこそありませんが、これが花森のデザインであることに、多くのかたが気づいておられたでしょう。書皮蒐集家のコレクションには、かならず入っているそうです。
大阪屋特製書店用カバー(左開きの表紙) |
花森安治が大阪屋のためにつくったのは、このカバーだけではありません。書店用の包装紙もつくっていました。下がそれで、カバーとおなじ図柄を2段にして、大きさはタテ543ヨコ395ミリ、A4サイズの本なら包めますから、たとえば絵本などのプレゼント用にちょうどいい大きさです。このカバーと包装紙がつくられたのは昭和29年(1954)、半世紀以上をへた現在もつくられ、書店で使われているそうです。
大阪屋特製書店用包装紙 |
そこで素朴な疑問がわいてきました。数ある書籍取次業者のなかで、なぜ花森安治は大阪屋だけに特別にデザインをしたのでしょうか。頼まれても、相応の理由がないかぎり、花森はかんたんに応じるような人間ではありませんでした。疑問の答が『大阪屋五十年史』に記されていました。おどろいたことに、花森が大阪屋のためにしたのは、包装紙等のデザインだけではなかったのです。
昭和30年代、大阪屋の初代社長福永政夫は、取次業績をあげるため、さまざまな方法を試みました。そのひとつが「経営を豊かにする書店奥様教室」で、初回は書店の妻たちを有馬温泉にまねき、慰労をかねての研修会を開きました。そのとき花森は大阪屋特製浴衣をデザインしています。そればかりか昭和39年には、花森みずから奥様教室で講演していました。『暮しの手帖』の花森安治が、そこまで大阪屋に肩入れするのはいったいなぜか、業界全体が疑惑のまじった目で見たようです。業界紙の取材におうじて、花森はこう答えていました。
「私はなにも福永社長から三顧の礼をつくして口説き落とされたから来たわけではない。大阪屋には恩義があるので、少しでも恩返しをしたいと思って出てきた。『暮しの手帖』がまだ海のものとも山のものとも判らぬ草創期に快く扱ってくれる書店もない時期に、現金仕入れをしてくれたのは大阪屋と三越だけであった。われわれは当時の有難さをいつまでも忘れない」(PSジャーナル昭和39年8月15日付より)
ここに花森安治の律儀さがあります。きどっていえば人生哲学です。わたしが在職していたころも、テスト用商品をはじめ社で必要な品は、すべて日本橋三越で買っていました。社員にも三越で買うようにと勧めました。それは窮屈な感じすらしたものですが、理由がわかると、その頑固さはむしろ潔さに思えます。義理人情、紙風船の如しでは、さみしいではありませんか。恩義に生きた男——それが花森安治の一面でした。
*この項をかくにあたり、株式会社大阪屋東京支社広報室分室の小熊正美氏より資料提供をうけました。大へんおせわになりましたこと、ここに厚くお礼申しあげます。