1957 |
書 名 愛のかたみ
著 者 田宮虎彦(1911−1988)・田宮千代(1913−1956)
発行人 神吉晴夫
発行日 昭和32年4月1日(初版)
発 行 光文社
発行所 東京都文京区音羽町3−19
印刷人 山元正宜
印 刷 三晃印刷株式会社
製 本 関川製本
判 型 B6判 上製 丸背ミゾ平綴じ 函入り 本文254ページ
定 価 280円(昭和32年18版)
表紙全体 |
扉 |
奥付 |
【ひとこと】なき妻の千代を共著者としているのは、ふたりの往復書簡をのせていることによる。田宮虎彦は妻を胃ガンでうしなった悲しみを真率につづり、本書はベストセラーになった。しかしその真率さが、たとえば平野謙をして「変態的」と批判させ、一部のマスコミはその尻馬に乗って、あらぬ中傷誹謗をした。妻をさきに喪うことになった男の悲哀は、その愛の大きさに比例して深い。その逆については、むろん言を要しまい(小生のばあい、吾妹はドンペリで祝杯をあげそうだ)。
函を展開したところ(合成) |
【もうひとこと】本書には花森安治の名まえが出てくる。妻千代の死が避けられぬと知った田宮は、服部之總の葬儀のかえり、暮しの手帖社をたずねた。
——私は、花森安治に会いたいと思ったのだ。花森に会えば、私の不安が何とかなると思えた。(しかしその日、花森はるすで会えず、一週間ほどしてあった。田宮は)、千代のことはいわず、花森とはじめて知りあった小学生の頃の言葉で、私は「たのまれてほしいんや、おれがどうにかなったらな……」といった。花森は「仕方ないよ、たのまれるんやったら、たのまれるがなあ」とこたえて、不安そうに私をみつめた。
その後、田宮は気をとりなおし、ふたたび生きはじめた。花森安治にみずからの死後を託したとき、花森がひきうけてくれたとき、かえってなにかがふっ切れたのではなかろうか。友はありがたい。