2011年7月18日月曜日

凧 大下宇陀兒

1948


書 名 凧 探偵小説集 
著 者 大下宇陀兒(1896−1966)
発行人 早川清 
発行日 昭和23年1月20日 第二版
発 行 早川書房
発行所 東京都千代田区神田多町2−2
印刷者 牧恒夫
印刷所 株式会社大化堂 
判 型 B6判 上製平綴じ 本文152ページ
定 価 65円


ウラ表紙


目次

奥付

【ひとこと】花森安治による装釘の本書は第二版。昭和21年にでた第一版を装釘したのは横川伸幸であった。改版時に変えているのだが、装釘者名がしるされていないため、南陀楼綾繁さんに教えられるまで、小生は気づかずにいた。この第二版がおなじ早川書房、吉川英治選集第二巻『青空士官』の刊行(昭和22年12月)直後に出ているところをみれば、花森は同時に装釘をうけおったと考えていいだろう。


表紙全体


【もうひとこと】大下宇陀児(おおした・うだる)、本名木下龍雄は明治29年、長野県上伊那郡中箕輪村にうまれた。現在の上伊那郡箕輪町であり、すなわち小生が住んでいる町の出身。大下が学んだ中箕輪尋常小学校は、新田次郎『聖職の碑』の舞台となった学校でもある。古い卒業名簿から、小生の父きょうだい10人、すべて大下と同窓であることがわかった。

筆名は夫人の名まえ歌子に由来する。「たいした歌子」をもじって大下宇陀児とした。そこで誰しもおもうのは、児が「る」と読めるか、という疑問。よんで読めないことはない。いまは死語となっているが、かつては年寄りのことを、いささか揶揄をこめてロートルと言った。あるいはわが身を自嘲していった。これを漢字でかけば「老頭児」。つまり中国語発音なのだ。大下の頓智がうかがえ、愛妻家だったことがわかる。

『暮しの手帖』に、大下宇陀児の文章が二ど掲載されている。最初は昭和29年発行の第26号「夢の母」、明治の伊那谷に生きた母親の凛とした姿勢が、文に添えた写真からもつたわる。二どめは昭和41年発行の第86号「子どもの悪性」。大下が急性心筋梗塞でなくなる五日前にかかれ、絶筆となった。

花森安治は、探偵小説作家としての大下宇陀児を高く評価したが、ふたりの資質には似かようものが感じられる。いずれ日をあらためて書きたい。