1971 |
書 名 一戔五厘の旗
著 者 花森安治(1911.10.25−1978.1.14)
発行者 大橋鎭子
発行日 昭和46年10月10日
発行所 暮しの手帖社
印刷者 北島織衛
印 刷 大日本印刷
判 型 B5判 上製函入り 糸綴じ 本文342ページ
定 価 1200円
本体表紙 |
扉 |
扉ウラ |
奥付 |
【ひとこと】きょう10月25日は、花森安治生誕100年の日。その一生は、小生にとっては短すぎた。だから、生誕100年に意義がある。生誕200年も没後100年も、しょせん小生には縁がないのだから。
『一戔五厘の旗』——一戔に金偏がないのは、「銭」で人間の価値をあらわせるか、という花森の怒りがこめられている。
扉ウラに、この本の製作にかかわった人々の名まえが記されている(のちの増刷分では削除)。感謝とねぎらいの気持のあらわれであろう。名まえを記された人々は、大いに誇らしくおもったのではあるまいか。
目次を全ページ、下にかかげる。花森安治による選りすぐりのエッセー集だ。読みちがえようのない、簡明達意の名文である。多くのひとが感銘をうけ、また感動し、涙した。どのエッセーからも、生きることの意味を問いかける花森のおもいが、しみじみと、おだやかに、ときに激しく、悲しく、強く熱く伝わってくる。ぜひ、読んでいただきたい。かならずや夢と希望がわいてくるだろう。
表紙全体 |
目次1 |
目次2 |
目次3 |
目次4 |
あとがき 最後部分 |
【もうひとこと】花森安治は、原稿用紙にむかうまえ、愛用の万年筆を分解し、みずから流し台で洗っていた。その万年筆は、ペリカンだったかモンブランだったか、あるいはパーカーだったか。ゆっくりていねいに洗っている姿が印象的であった。おそらくそれは文章をかく前の、花森安治流の「儀式」だったのではないか。洗い始めたら、そのときは、構想ができあがったことを意味していたような気がする。
見返し(花森安治によるため書きは小生の宝ものである) |
【おしらせ】今回の花森安治『一戔五厘の旗』をもちまして、最後の更新といたします。この一年間、拙ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございました。また、かってな妄語放言にお付きあいさせましたこと、いまさらながらお詫び申しあげます。
最後の最後まで恐縮ですが、『一戔五厘の旗』のあとで書かれた花森安治のエッセーが、まだまとめられていません。なんとか単行本にしてほしいものです。 それとともに、花森安治の装釘本が、出版文化史料として整理され、後世にのこることを、信州の片田舎で夢見ています。その夢は、同期に入社し、ともに花森の下で働き、いまは幽明境を異にする中川顯、堀口剛一の両君とて、同じであるにちがいありません。