1953 |
書 名 山莊記
著 者 野上彌生子(1885−1985)
発行人 大橋鎭子
発行日 昭和28年12月1日
発 行 暮しの手帖社
発行所 東京都中央区銀座西8−5
印刷人 青山與三次郎
印 刷 青山印刷株式会社
製 本 清水茂登吉
判 型 B6版 上製角背ミゾ カバー 無線綴じ 本文234ページ
定 価 280円
印刷ではなく木綿の絣を貼った本体表紙 |
扉 |
目次ウラの記名 |
奥付 |
【ひとこと】書名の『山莊記』は、昭和19年秋から戦争が終わった20年秋まで、野上彌生子が北軽井沢に移りすんだ一年間の日記にちなむ。
——戦争への絶望感をもちながらどうすることも出来ない悲哀と憤りを、私はあのミダス王の髪結いの司が、王の驢馬に似た耳の秘密をひそかに土の穴に掘つて囁いたと同じ気持ちで、毎日の日記にそそいだ。
(原文正字正かな)
戦時中、軽井沢などの避暑地に疎開して戦災をまぬかれた一部の特権階級に対して、 戦後それを非難する声が少なからずあったようだ。花森安治にも非難の言辞がある。あとがきで野上は、「たかみの見物をした」と思われることへの後ろめたさを、この日記によって「贖えれば有り難い」と書いている。精神(言論)の自由を、野上は野上のやり方で、まもったのである。
表紙全体(背文字、ウラ表紙とも型押し) |
カバー全体 |
【もうひとこと】目次ウラに「装本 花森安治」にならんで、「久留米絣 山下實」と記されている。本体の表紙と背に、木綿の久留米絣の端布が貼りつけてあり、山下はその絣の織り職人なのであろう。革張りの表紙もあるように、絣のような生地をもちいて表紙をつくる例は、小山書店がだした小泉八雲の特装本などにも見られ、花森のオリジナルではない。
野上彌生子に絣のきものを着せてあげたようで、 それが花森のやさしさにおもえる。
1945 生活社刊日本叢書 『山莊記』『続山莊記』 |
【もうひとこと】ごらんのように、野上彌生子『山莊記』を最初に版行したのは、生活社の鐵村大二であった。河内紀さんも関心をよせておられたが、生活社の執筆陣と『暮しの手帖』の執筆陣はかさなるところが多く、見ようによっては鐵村なき後、花森安治がひき継いだようにも見える。けれども、つながりが感じられるだけで、じっさいのところは、わからない。