1954 |
書 名 伊藤整氏の生活と意見 河出新書★53
著 者 伊藤整(1905−1969)
解 説 瀬沼茂樹(1904−1988)
発行人 河出孝雄
発行日 昭和29年8月15日(初版)
発 行 河出書房
発行所 東京都千代田区神田小川町3−8
印刷人 福神和三
印 刷 福神印刷
判 型 新書判 並製 平綴じ カバー 本文256ページ
定 価 120円(昭和29年3刷)
カバー裏 |
瀬沼茂樹の解説つき |
奥付(右ページは瀬沼茂樹解説の終り部分) |
【ひとこと】本書は昭和26年から27年にかけて雑誌『新潮』に連載された文章をまとめたもの。それが新潮社からではなく河出書房から上梓されたのは、植田康夫『本は世につれ』によれば、知性アイデアセンター社長の小石原昭が、当時は「新入社員で出版界の常識に影響されなかったからである」という。 小石原は伊藤整に直談判し、河出書房が『伊藤整作品集』をつくることを条件に版権をえた。その作品集もまた花森安治が装釘している。業界常識のない駆け出しであっても、情熱しだいでは後世に記憶される本をつくりだせるという好例。
カバー全体 |
【もうひとこと】本書には瀬沼茂樹の解説がついている。瀬沼と伊藤整が無二の親友であったことは周知のとおり。『新潮』連載当時、伊藤は「チャタレイ裁判」の被告であり、渦中の人であった。瀬沼は、伊藤がみずからを「伊藤整氏」と他人事のように茶化してえがいた真意を「演技」ととらえ、つぎのようの見ている。
——演技者である自己の影には常に「真の自己」が残り、「見られる自己」の操作の基体でもあるわけだろう。自己を戯画化して笑わせるのは、いわばこの「真の自己」を「見られる自己」から分離させて、苦しみから脱却しようとするものであろう。「見られる自己」、即ち、社会人としての蔭で、作者は、北海道人らしい忍耐強さをもって自己の様々な欲求を断念し、その苦しみに耐えているといってよい。——(原文正字正かな)
瀬沼のとらえ方は、近代的な「自我」を解釈するうえではわかりやすいが、その内省的態度は、とかく後ろ向きになりやすい。花森安治はどう見ていたか、きいてみたかった。