2011年6月10日金曜日

お母さまのさんすう 矢野健太郎

1965 初版


書 名 お母さまのさんすう *暮しの手帖の本 
著 者 矢野健太郎(1912−1993)
発行人 大橋鎭子 
発行日 昭和40年11月20日
発 行 暮しの手帖社
発行所 東京都中央区銀座西8−5
印 刷 青山印刷株式会社
判 型 181×115 並製 平綴じ 本文252ページ
定 価 320円



1984 改訂新装版


書 名 お母さまのさんすう 改訂新装版 
著 者 矢野健太郎(1912−1993)
発行人 大橋鎭子 
発行日 昭和59年4月1日
発 行 暮しの手帖社
発行所 東京都港区六本木3−1−1興和ビル
印 刷 青山印刷株式会社
判 型 B6判 並製ビニカバー 平綴じ 本文348ページ
定 価 1200円


【ひとこと】『お母さまのさんすう』初版は、暮しの手帖本誌に昭和34年から36年にかけて同じタイトルで連載したものをまとめたもの。改訂新装版は、花森安治なき後、昭和53年末から昭和57年にかけて連載したものをまとめたもの。同じ書名だが、当時の小学校の学習指導要領の改訂にもとづいているため、ほとんど別の本とうけとめてよい。

判型こそちがうが、表紙に花森の絵をそのままつかっているため、初版と改訂新装版のちがいに気づきにくい。しかし、あらためて見くらべると、いまさらながら首をかしげてしまう。どこがどう違うか、上に花森安治の初版、下に編集部が「装訂」した改訂新装版をならべ、ごらんにいれる。諸賢も見くらべてほしい。



<表紙全体>

花森安治装釘 初版

編集部 改訂新装版


<表紙ウラと見返しに掲げた花森安治のプロローグ>

花森安治オリジナル

編集部による加筆


<とびらの書体と大きさ>

花森安治オリジナル

編集部による書体変更  「装訂 花森安治」と記載


<奥付>

花森安治オリジナル

編集部によるレイアウト変更


【もうひとこと】花森安治は、なにからなにまでやった。他人にまかせられない質であった。そのかわり部員には、「ボケーッと見ているだけじゃなくて、じぶんならどうするか、それをいつも考えろ」と言い聞かせた。

絵を流用したのだから、初版になかった花森安治の名まえを入れたのは当然としても、なぜ「装訂」の字を冠したのだろうか。花森にとってソウテイとは「装釘」でなくてはならなかった。

詩のようなプロローグを学習参考書の惹句のようなコピーに変え、とびらの書体まで変えて、あげくに「装訂 花森安治」とは、なんという皮肉であることか。それでも花森は、ひとことの反論も弁解もすることはないだろう。かかわりがあったならば言い訳せず、みずからの責任として受けとめる。花森安治はそういう男子であった。小生はですぎたまねをしているのである。

【補記】『お母さまのさんすう』は、矢野没後の1998年、茂木勇監修による改訂新版がでた。表紙にそれを明記している。現在は、いずれも絶版。編集会議でいった花森の予見は、やはりあたっていた。

2011年6月8日水曜日

母の算数 藤森良藏

1944

書 名 母の算数 
著 者 藤森良藏(1882−1946)
発行人 橋本芳藏 
発行日 昭和19年3月20日
発 行 大政翼賛會宣傳部
発行所 東京都麹町区霞ヶ関1−1
印刷人 西川喜右衛門
印 刷 株式会社秀英社
判 型 B6判 並製平綴じ 本文共72ページ
定 価 20銭



表紙ウラ(表2)と扉

奥付

ウラ表紙(表4)

【ひとこと】著者の藤森良藏は戦前、考え方研究社という出版社をおこした数学教育者で、受験参考書出版のさきがけとして知られる。教え方がうまかったのであろう。

本書もまた、花森安治の装釘であるという証拠は、ない。奥付には編輯兼発行人として橋本芳蔵の名がしるされているのみ。当時の橋本は宣伝部副部長であり、花森安治はその下で働いていた。憶測ではあるが、本書の編輯に花森はまったく無縁だった、ともいいがたい。暮しの手帖社の刊行物にくわしい方には、書名からすぐに想起される本がある。それゆえとりあげた。

ところが本書の刊行前、『母の算術』という書名の本があった。算術というよび方こそ古めかしいが、下掲のごとく函入りハードカバー、横山隆一の装釘、本の体裁は翼賛会の『母の算数』よりはるかに立派だ。



1940

書 名 母の算術 
著 者 武井俊一郎(1893−?)
装 釘 横山隆一(1909−2001)
発行人 石山皆男 
発行日 昭和15年11月1日
発 行 ダイヤモンド社
発行所 東京市麹町区霞ヶ関
印刷人 石山皆男
印 刷 松村印刷所
判 型 B6判 函入上製 丸背ミゾ平綴じ 本文共402ページ
定 価 1円80銭


扉 横山隆一

奥付

函 横山隆一

【もうひとこと】『母の算術』の四年後に『母の算数』がでた。前者の内容は、小学校高学年から中学校低学年ほどであるが、後者はあきらかにもっと低く、小学校低学年なみである。これはなにを意味しているのだろうか。教育ママが多かったわけではなく、おそらく戦争の長期化によって、学校教育が質量ともに低下していたからであろう。未来のある子どもたちの教育が、政治家や軍人のつごうで失われては大変なことになる——宣伝部内には、とりわけ幼子をもつ職員には、その憂慮があったとおもう。公教育の不足を、母親をとおして補おうとしたのである。

戦争中の日本を、戦後の日本人はすべて否定してかかる傾向があるが、いまの日本だって十分におかしい。基本的人権も児童憲章も、党派に関係なく国会議員のアタマにない(としか見えない)。罹災地や原発事故周辺地域の子どもたちを守るという未来への責任感が、はたしてあるのだろうか。

2011年6月6日月曜日

河盛好蔵の文庫版カバー

花森安治が装釘した河盛好蔵著『人とつき合う法』『あぷれ二十四孝』には文庫版がある。元本と文庫本のちがいを見くらべるのも、おもしろい。それぞれのカバーをごらんにいれ、参考に文庫本にしたときの著者あとがきページを供する。なお単行本同様、発行および発行人は、ともに新潮社と佐藤亮一。


<『人とつき合う法』単行本>

1958 単行本

<『人とつき合う法』文庫初版>

1968 文庫本
<『人とつき合う法』文庫改版>

1986 文庫改版
『人とつき合う法』文庫本あとがき

【ひとこと】花森安治のカバーによる河盛好蔵の本は、二冊とも花森存命中に文庫化されている。しかし『人とつき合う法』の昭和61年改版はその死後で、花森は新しくなったカバーを眼にしていない。これを見たら、あちらで舌打ちするかもしれない。

単行本の表紙で、書名と著者名をいちばん下に置いたのは、大上段にかまえていない姿勢、つまり老人の、上から目線の説教ではないことを、感じとってほしかったのだとおもう。

「人とつき合う法」なんて定石があるわけもなく、河盛ほどの人物であれば、含羞なくして説けるものではない。書名著者名が、下にあるのと上にあるのとのでは、花森の絵もちがって見えはしないだろうか。諧謔と悪ふざけは紙一重だ。こころすべし。



<『あぷれ二十四孝』単行本>

1960 単行本

<改題『親とつき合う法』文庫初版>

1974 改題文庫
『親とつき合う法』文庫本あとがき

【もうひとこと】現在、これら河盛好蔵の文庫本二冊も絶版になっている。青春の一時期、かつての若者たちにきそって読まれた本が、いまでは見向きもされなくなったようだ。読んでおもしろく、しかも読んだあとの充実感もあるのに、現代の若者たちが読まなくなった理由が、小生にわからない。

【訂正】『人とつき合う法』は版元をかえて、人間と歴史社から新装版がでている。花森安治の装釘ではないけれど、絶版ではなかった。訂正します。

2011年6月3日金曜日

あぷれ二十四孝 河盛好藏

1960


書 名 あぷれ二十四孝
訳編者 河盛好藏(1902−2000)
発行人 佐藤亮一 
発行日 昭和35年12月20日
発 行 新潮社
発行所 東京都新宿区矢来町71
印 刷 図書印刷株式会社
製 本 神田 加藤製本
判 型 B6判 上製 角背ミゾ平綴じ 本文190ページ
定 価 270円(昭和38年10月30日6刷)


カバー裏面


 【ひとこと】タイトルについて説明がいるだろう。「あぷれ」はフランス語のアプレ、「二十四孝」は、昔の中国にいたという24人の親孝行にもとづく説話集。戦前の日本でも道徳の規範として教えこまれた。ところがそれが敗戦によって覆る。平等の観念が、親子の間でもうわすべりに広まったあげく、戦前の教育をうけて育った者は、わが子へのむきあい方がわからなくなった。表紙は、親が子に対してちぢこまっている図。つまり本書は、アプレゲール(戦後)の親と子のかかわり方を説いたエッセイ集である。


表紙全体
本文カット
奥付

【もうひとこと】さきに出た『人とつきあう法』は書名著者名ともに写植であったが、本書では、花森安治はすべて描き文字にした。『二十四孝』なんて、写植では軽くなりすぎてしまう。それにつけてもおもしろいのは、河盛好藏の「藏」を正字にしていることだ。

拙著『花森安治の編集室』にかいたが、花森は略字の蔵を「カギのない藏」といってきらった。むろんその根底には、戦後の無定見な国語改革への批判があったからだけど、三十すぎるまで使っていた文字を、あしたから使っちゃいけないと法律で制限したら、怒るほうがまともな人間というものではないか。


カバー全体

【ついでにひとこと】『あぷれ二十四孝』は文庫版として出版されたとき、『親とつき合う法』に改題されている。『人とつき合う法』とともに文庫版の表紙は、次回ごらんにいれたい。

2011年6月1日水曜日

人とつき合う法 河盛好蔵

1958


書 名 人とつき合う法
訳編者 河盛好蔵(1902−2000)
発行人 佐藤亮一 
発行日 昭和33年10月30日
発 行 新潮社
発行所 東京都新宿区矢来町71
印 刷 東洋印刷株式会社
製 本 植木製本所
判 型 B6判 上製 角背ミゾ平綴じ 本文188ページ
定 価 260円(昭和41年2月28日14刷)


本体表紙



【ひとこと】表紙とカバーの絵がちがう。ふたりのあいだの状況に時間差がある。たがいに隠しもったピストルとナイフを、つぎのせつな突きつけ合う。ブラック・ジョークだ。こういう絵を表紙にするのは、著者にしても意外と勇気がいるのではないか。若いころの二年間のソルボンヌ留学経験が、河盛のエスプリ感覚を磨きあげたのかもしれない。あとがきで河盛は、花森安治の絵を「清新で警抜」とよろこんでいる。

それにしても、この書名と著者名のあつかいは、前例があったのだろうか。 表紙のいちばん下、左右を版面いっぱいにして、おなじ大きさの文字で一行におさめている。意外性をねらったであろうことはわかるが、花森安治はたんに奇をてらうような人間ではなかった。なにか考えるところがあってのことと、小生はおもう。さて、その考えとは何だろう。



本文カット

河盛好蔵のかいたものは、人生訓というか社交術のようであるが、それがちっともイヤミでない。該博な知識と温厚親切な人柄が、その文章を抵抗なく読ませる。味わい深い。花森は、こう言っていた。
——随筆を書くなら五十をすぎてからにしろ。



表紙全体
カバー全体

【もうひとこと】カバーの色が褪せてみにくいが、背文字は本体からもわかるように、縦書ではなく横書である。これは本書だけでなく、花森安治装釘の河盛好蔵著『あぷれ二十四孝』もおなじ。ひとがやらないことをやる、は花森安治の基本姿勢であった。でも、それだって容易じゃない。装釘家ならわかるとおもう。


奥付