美しい暮しの手帖 創刊号原画 1948 |
こんかいの花森展の開催に尽力された世田谷美術館の矢野進学芸員は、花森がいった「僕はほんものの絵描きじゃないから表紙画を描けるんだ」ということばに着目しています。というのも、表紙を描いたり装釘をしたりする職業画家は、昔も今もたくさんいるからで、花森のことばを意地悪くとれば、表紙をかくような画家は「ほんものの絵描きじゃない」という意味にもうけとれ、語弊をまねきかねないからでしょう。
花森のことばの意をおしはかるには、それが表紙になったときを待たなければなりません。たしかに原画をみれば、印刷した表紙からうかがえなかった繊細なタッチや色合いの美しさがつぶさにわかるのですが、絵心のある方には、何かものたりない、あるいはどこか間のぬけている印象がまぬかれない筈です。表紙につきものの誌名、号数、発行月などが原画にはないからです。
美しい暮しの手帖 創刊号表紙 1948 |
花森の絵は、表紙になったときはじめて完成します。つまり、ほんものの絵描きは、構図にスキのある描き方をしないし生理的にできない、絵それじたいで完結した世界を描く、と花森は言いたかったのだとおもいます。さらにいえば、原画のもつ色あいとそれが印刷されたときの色あいの違いに寛容でなければ「描いてられるか、ガマンならない」という気持もあったとおもいます。(いまは事情が変わっており異論もありましょうが)。
暮しの手帖 Ⅱー52号原画 1978 |
この春、島根県立美術館で花森展を企画した上野小麻里学芸員は、《全体を通してみると、似たイメージのパターン化を避けながら、ほどよい甘さと表紙としてのインパクトを同時に追求した作画である。自らが編集する雑誌へのゆるぎない信念と情熱とを背景にして描くため、否応なく人の目をひきつけてしまうのではないか。(中略)書店で他誌と並んだとき、この雑誌の特異性が際だったにちがいない。——「努力する手」松江文化情報誌『湖都松江』vol.23所収》と評しています。
暮しの手帖 Ⅱー52号表紙 1978 |
花森安治にとって、表紙やイラストをかくことは、画家として芸術性を追求したのではなく、あくまで編集者としての職人しごとの一つであった、といえるのではないでしょうか。
【あらずもがなのご案内】
世田谷美術館が発信している「セタビブログ」によると、館内のミュージアムショップでは、こんかいの開催にあわせ花森安治のデザインをつかった商品を多数あつかっているとか。ねだんの手ごろさもあり、なかでも原画のポストカードがよく売れているそうです。小生もカードを小さな額にいれ、季節とりどりに入れかえ、壁にかけています。花森の絵にはファンタジーが感じられます。人災天災に翻弄される人間にとって、だからこそファンタジーをだいじにしたいとおもっています。