暮しの手帖 Ⅱー23号 1973 |
世田谷美術館で花森安治の表紙原画展がはじまりました。
おそらくポスターやチラシが都区内では配布されているのでしょうが、小生がくらす信州伊那谷では望むべくもありません。美術館の公式ホームページに次のように告知されています。
花森安治と『暮しの手帖』ミュージアム コレクション2012-II
2012年6月30日~9月2日 2階展示室
観覧料:一般/200円(160円)大・高生/150円(120円)中・小生、65歳以上/100(80円)
小中学生は土・日・休日は無料 ( )内は20名以上の団体料金、障害者割引あり
休館日:毎週月曜日(休日の場合は開館し、翌火曜休館)
暮しの手帖35号 1956(左) 同19号 1953(右) |
2006年世田谷文学館また2012年島根県立美術館の展示とちがい、こんかいは美術館所蔵の表紙原画のほか車内中吊りポスターと新聞広告などに限られています。花森安治と『暮しの手帖』にゆかりの品や装釘本は残念ながらありませんが、表紙画家、広告デザイナー、さらにはコピーライターとしての花森安治の多彩な持ち味が、十二分につたわります。
暮しの手帖30号 1955(左) 同42号 1957(右) |
<交通■電車とバスで来館の方>
(1)東急田園都市線「用賀」駅 美術館行バス「美術館」下車 徒歩3分「用賀」駅より徒歩17分徒歩
(2)小田急線「成城学園前」駅 渋谷駅行バス「砧町」下車 徒歩10分
(3)小田急線「千歳船橋」駅 田園調布駅行バス「美術館入口」下車 徒歩5分
(4)東横線「田園調布」駅 千歳船橋行バス「美術館入口」下車 徒歩5分
暮しの手帖社営業企画部のツイッターによれば、初日から多くの観覧者でにぎわっているとか。世田谷文学館や島根県立美術館のときと同じく、くりかえし訪れるリピーターが多いのが花森ファンの特色といえるかもしれません。暮しむきの不安感がつよい時代にあって、花森安治のやさしく愛らしい色彩感覚が、見る人に希望とやすらぎをあたえるからではないでしょうか。表紙原画全 103点の一挙公開は今回がはじめてです。その目でぜひ、美しい原画をごらんになって下さい。
暮しの手帖 Ⅱー1号 1969 |
【哀悼】新聞などで知らされていますように、花森安治の愛弟子の一人、暮しの手帖二代編集長であった宮岸毅が、さる六月二六日なくなりました。
宮岸は、いわゆる蒲柳の質ともうせば語弊があるかもしれませんが、けっして頑健なほうではなく、いくども大きな手術をうけ満身創痍でした。しかし、そのつど闘病再起をはたし、男子最古参の編集者として、また経営顧問として、暮しの手帖社にその一生を捧げました。こんどの展覧会開催をまたずして逝ったのが、とても残念です。
花森安治の存在が大きかっただけに、そのあとを継ぐには筆舌に尽くせぬ苦労があったはずです。「もう放り出したいよ、おまえさんがうらやましいよ」と、できの悪い後輩の小生にむかって、ときおり弱音ともとれるセリフを吐きましたが、「おれがやらなければどうなる」という自負を、つねにその痩躯に背負っていることが察せられました。
花森は生前、「宮ちゃん」と呼んでいました。ごくたまに「宮岸クン」とあらたまることがありましたが、報告・連絡・相談をまめにおこない、花森を怒らせることはまれでした。いまごろあちらで、親方からやさしくねぎらわれているに相違ありません。いいえ、きっと美術館にふたりならんで、たのしそうに見ている、小生にはそう思えます。
先輩のはにかんだ笑顔がうかびます。冥福を祈ります。合掌
暮しの手帖 Ⅱー51号 1977 |