2015年12月6日日曜日

花森安治 calendar 2016

タテ515×ヨコ300ミリ 13枚つづり


ことしもまた新しい花森安治カレンダーをちょうだいした。
『暮しの手帖』の表紙を飾ったときよりも大きく、ていねいに印刷されており、ハッと目をひく。うつくしい。瞬間こころが躍る。深く感謝しています。

表紙につかわれているのは、1970年 2月発行『暮しの手帖』2世紀第4号の表紙。どこかイスタンブールの街なみをおもいおこさせる。けれどそこに描かれたかわいい花々から、小生の連想は、江間章子『花の街』の歌にとんでしまう。


七色の谷を越えて
流れて行く 風のリボン
輪になって 輪になって
かけていったよ
歌いながら かけていったよ

美しい海を見たよ
あふれていた 花の街よ
輪になって 輪になって
踊っていたよ
春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で
泣いていたよ 街の角で
輪になって 輪になって
春の夕暮れ
ひとりさびしく ないていたよ


かつてこのブログで、花森が装釘した川奈美智子著『こんな日こんなとき』を紹介した。そこに小生は、川奈美智子についてよくわからない、と書いた。じつは川奈は江間章子とおなじ生年で、ともに駿河台女学園に学んでいる。そして江間は大政翼賛会で花森とともに国策に協力従事していたのであった。江間は戦後、翼賛会で働いた過去をふかく恥じていたにちがいない。ほとんど語らなかった。

小生が暮しの手帖社に入社してまもなく、新人のために歓迎会を中華レストランの王府でひらいてくれた。いまだ忘れ得ないのは、新人を代表させられ、余興に歌をうたわされたことだ。カラオケなんかない時代である。

小生はひとつ覚えの『夏の思い出』をアカペラでうたった。江間章子の代表作であることは知らなかった。歌い始めたら宴の空気がいっきに沈むのを感じた。やはり場違いだったか、と小生は「誤解」した。——そうではなかった。小生は、花森の過去に、なにも知らずに侵入していたのであった。

「ひとの痛みをわかる人間であれ」
——花森のそれが口ぐせであった。
沖縄の人々の、からだとこころから、戦争の傷と痛みは、いまだ消えていない。米軍基地があるかぎり、消えることはないであろう。


<ミニカレンダー>
タテ150×ヨコ150ミリ 14枚つづり

ことしは卓上版にかえて、上掲のような小さいながら壁に掛けるミニカレンダーが用意された。小さいから掛けられる場所がかくだんに増す。ありがたい。
花森安治カレンダー2016についてお問合せとお求めはグリーンショップまで。下記をクリックすると花森安治グッズのコーナーです。
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