林達夫著作集5 函オモテ |
書 名 林達夫著作集5 政治のフォークロア
著 者 林達夫(1896−1984)
装 釘 原 弘
発行者 下中邦彦
発行日 昭和46年2月25日初版第1刷
発 行 平凡社
発行所 東京都千代田区三番町5
印刷所 東洋印刷株式会社
製本所 和田製本工業株式会社
判 型 B6判 並製函入り 本文370ページ
定 価 1800円(初版第13刷)
《かつてファシスト教育理論家の一人ガブリエリは、「ファシズムは一つの新しい教育理論である」と言った。そのわけはファシズムは「国家によって教育される人間」という新しい型の教育理想を完全に実践に移した革新的理論であり、かかることは従来の旧い伝統と偏見とに充ちた痛風的な教育の到底なし得なかったことだというのである。》
《人が克服しえないと考えたこの積弊を打破したところに、(即ち自由主義的、ブルジョア民主主義的教育を一掃して、教育を完全に「国家」に、ブルジョアジーの独裁に公然と従属させたところに、)彼はファシスト教育の功績を認めているのだ。》
《だが、(略)彼のいわゆる「国家によって教育される人間」とは事実においては「強力によって片輪にされる人間」のことであり、「支配階級の完全な道具にされる人間」のことである。》
《かかる片輪の道具=人間を作る教育がもし「理想の教育」であるならば、人間の教育は警察犬や軍馬の「訓練」と少しも異なるところがないだろう。》
うえの引用は、本書に収載された「イタリア・ファシズムの教育政策」と題する評論からで、解題によれば初出は岩波書店昭和7年11月に発行された『教育』とあります。つまり今から83年もむかしに書かれています。しかし、あたかも現政権下の日本に起こりつつあるような、いかにも身につまされるような気分に、あなたも、なりはしませんか。
——わたしに林達夫の存在と文章を意識するきっかけを与えてくれたのは、花森安治でした。まだ二十歳代であったわたしは、『暮しの手帖』の文章に日夜どっぷり浸っているうち、そのとりすましたようなお行儀の良さがどうにもがまんできなくなり、ある日の編集会議で「明治人の文章」というようなテーマでプランを出し、一例として北村透谷の文章をあげて音読したことがありました。
そのとき花森は、「 そうだなあ、キミなんか、ハヤシタップを読んだほうがいいんじゃないか。ハヤシタツオは若い人にもっと読まれていいとボクなんかおもうけどな。読んでごらん」と笑いながらこたえ、プランはもちろん却下でした。
きょう10月25日は、花森安治の誕生日。生誕104年にあたります。
その記念の日に、なにか花森にまつわることを書いてしのびたいとおもい、いろいろ考えあぐねましたが、けっきょく林達夫にゆきついてしまいました。編集会議のときの花森のおだやかな声が、どうしてもよみがえるのです。
現政権は、若者たちの活字離れのスキをついて、自由な学問と言論、教育を蹂躙しようとしています。SEALDs への対抗策として、教育への政治圧力はさまざまな手段と方法でさらに露骨になるでしょう。いまのアベ政治は、まさに戦前のファシズムに回帰しようとしているとしか見えません。
——花森の『暮しの手帖』の文章は、ただ平易で簡明なばかりでなく、しっかりした思想と哲学によって裏打ちされ、リファインされていました。その文章作法を培うためのいわば肥料として、花森は林達夫の文章をすすめてくれたのだとおもえます。ここに紹介したのは、林達夫の「爪の垢」にすぎませんが、これだけでも煎じて飲む価値はありそうです。ジャーナリズムにかかわる人々には、林達夫がのこした文章を、幅広く読んでほしいものです。クレバーな為政者は、つねに過去の歴史のやり口に学んでいます。
【蛇足】いま古本業界では全集物の価格がたいへん下がっています。平凡社『林達夫著作集全6巻・別巻書簡1』は、学生のお小遣いで買えるお値打ち全集。早い者勝ちです。