2013 |
書 名 灯をともす言葉
著 者 花森安治
監 修 土井藍生
構 成 鈴木正幸
組 版 鈴木成一デザイン室
発行日 平成25年7月20日
発行者 小野寺優
印 刷 株式会社暁印刷
製 本 加藤製本株式会社
発 行 株式会社河出書房新社
発行所 東京都渋谷区千駄ヶ谷2-32-2
判 型 四六判変型 200ページ ソフトカバー
定 価 本体1300円税別
監修者の土井藍生さんから新刊をちょうだいした。それがありがたく、なによりうれしい。
藍生さんは花森安治のご息女。添えられたお便りに、表紙につかわれている市松模様は、花森がこのんだ模様の一つで、書籍では河盛好蔵『あぷれ二十四考』につかい、松江の一畑百貨店の依頼によりデザインした包装紙にもつかわれたと書かれていた。小生の記憶にまちがいがなければ、中華レストラン新橋王府の入口内壁も大きな市松模様で、いかにも中華チュウカしていないところが新鮮であった。王府のロゴをはじめとする種々の意匠は、花森安治のデザインであった。その王府も、料理長であった穏和な戰美樸さんも、いまはないけれど——。
本体表紙 |
この夏、本書が刊行された意義は大きい。きょう68回めの終戦の日をむかえ、本書の中から、花森安治のつぎの言葉をもって、憲法第九条の改定に反対したい。
《人間の歴史はじまって以来、
世界中どこの国もやったことのないこと、
やれなかったことを、
いま、日本はやってのけている。
日本国憲法第九条。
日本国民は……
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
なんという、すがすがしさだろう。
ぼくは、じぶんの国が、
こんなすばらしい憲法をもっていることを、
誇りにしている。
あんなものは、押しつけられたものだ、
画(え)にかいた餅だ、単なる理想だ、という人がいる。
だれが草案を作ったって、
よければ、それでいいではないか。
理想なら、全力をあげて、
これを形にしようではないか。
全世界に向って、武器を捨てよう、と
いうことができるのは、日本だけである。
日本は、それをいう権利がある。
日本には、それをいわなければならぬ義務がある。》
ー花森安治「武器をすてよう」ー初出『暮しの手帖』97号(1968)、『一戔五厘の旗の』所収
カバー全体(オビ共) |
【ひとこと】
本書収載の花森語録には、拙著『花森安治の編集室』からも採録されている。花森の言葉は、どの一語一句にもその才智があふれており、多くの言葉の中から選ぶのは苦労したとおもわれる。それだけに拙著からの採録はおもいがけず、光栄でした。感謝します。
言わずもがなながら、諸賢の興味と関心をあおるために申すならば、本書には仕掛けがある。大まじめに読んでいると、ところどころで噴きだしてしまうこと請け合い。電車内などでお読みになる御仁は、くれぐれも御注意めされ。
【もうひとこと】
「終戦の日」や「終戦記念日」という言い方に異論を唱えるひとが、昔も今もいる。潔く「敗戦」を認めるべきだ、というのが昔の異論であった。これについて花森のことばが残っている。
《日本人は八月十五日を敗戦といわないで終戦という、とよく問題にされますが、ぼくも敗戦という感じを持たなかった。終った、すんだ、言葉にすれば終戦ですね。しかし漢字で表すと、「了」、完了の「了」という字を書きたい気持ちでしたね。》「僕らにとって8月15日とは何であったか」ー初出毎日新聞社『1億人の昭和史4空襲・敗戦・引揚』1975
無益な戦争を体験し、その辛酸をなめつくすことを余儀なくされた日本人にとって、戦争はこれっきりで終りにしたい、という強い思いが「終戦の日」もしくは「終戦記念日」という表現をとらせたのではないか。
懸念すべきは現今の異論である。「敗戦記念日」をいう人のなかに、その対極として「戦勝記念日(海軍の日・陸軍の日)」を復活させようという意図が見えかくれしている。戦争体験者が少なくなるにつれ、若い人にこのような浅薄な思考が増えるのは、とても残念におもう。