2012年8月4日土曜日

【花森安治表紙原画展をみる 第3信】


暮しの手帖 Ⅱ−43号表紙 1976


夏の号の表紙で忘れられないのが43号です。
ごらんのように幻想的な絵ですが、あきらかに灯籠流しがそのモティーフにとられています。ここで花森安治は、浴衣姿の女性ではなく、白のイブニングドレス姿の女性に祈りをたくしランプの舟を流させました。これを花森の西洋趣味とかたづけるのは、やはり浅いとおもわれます。

前回の第2信で、まえ三年ぶんの夏の号をごらんにいれました。それにくらべると、この表紙は大きく志向がかわり、花森の訴えが直截に感じられないでしょうか。それは、戦争でいのちをなくした人びとへの花森のおもいに外ならない、と小生には感じられます。

とういうのも、この号にかぎって「暮しの手帖」の誌名が、絵の背景に封じ込められています。誌名ロゴすらも固定化せず、絵にあわせて書きわけていた花森でした。その花森が、いつもの均衡をやぶり、あえて絵に優位性をあたえたと小生は見ます。表紙から、何かを感じとってほしいという強いおもいが、花森にあったからではないでしょうか。


暮しの手帖 Ⅱー43号巻頭ページ 1976


この号のトップ記事は、ひさしぶりに花森みずからが先頭にたって広島県に取材したルポルタージュでした。記事の文章も多くは花森がかきました。

ことしも原爆が投下された6日と9日がやってきます。広島では8月6日の夜、爆心地のそばを流れる元安川で、まいとし灯籠流しがおこなわれています。表紙の絵には、広島への原爆投下と、原爆で犠牲になった人々への花森のおもいがこめられている、とおもえます。

原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませんから」と刻みつけてあります。このことばは、福島第一原発事故をおこし、大飯原発を再稼働させたいま、あらためて日本人のすべてが重く受けとめなければならない<警鐘>のようにおもえます。


小生が住む長野県箕輪町では、ことしから6日午前8時15分と9日午前11時2分にもサイレンをならし、1分間の黙禱を町民によびかかけるようになりました。伊那谷の夏空にひびきわたるサイレンの音が鳴りやんだとき、一瞬ふかまった透明な静けさが、いのちのはかなさとかなしさを想いおこさせました。