2011年7月6日水曜日

嘆きの市 久米正雄

1948


書 名 嘆きの市 青春叢書
著 者 久米正雄(1891−1952)
発行人 永井直保 
発行日 昭和23年11月10日
発 行 永晃社
発行所 東京都世田谷区羽根木町1837
印刷所 永井印刷工業株式会社 
判 型 B6判 上製糸綴じ 丸背ミゾ 本文258ページ
定 価 180円



ウラ表紙


【ひとこと】かつてこのブログで紹介した深田久彌『知と愛』と同じ永晃社版青春叢書の一冊。叢書には芹沢光治良『美しき秩序』もあり、いずれも表紙はおなじ女性をモデルにしたようだ。小説本の表紙として愛らしすぎるのは、あえて「青春叢書」と名づけ、ティーンエイジャーと称された世代に読ませたかったのであろう。むろん男子を対象にしたとはおもえぬ。竹久夢二が描いた女性が古風な日本女性だったのに対し、こちらは現代女性のメランコリックな気分がよく出ている。花森安治がこんな絵を描いたとは、けっこう驚くひとも多いのではなかろうか。

目をみはったのは髪の色だ。いまふうにいえば、これはファッションウイッグではないかしら。竹久夢二、高畠華宵、蕗谷虹児はもうすにおよばず、中原淳一だってこんな色に毛染めをした女性を描いたことはないとおもうのだが。

版元も発行人もおなじだが、同年4月に『知と愛』を発行したときと所在地が変わっている。戦後、東京の町が復興してゆくにつれて事業所が移動するのは、永晃社だけではなかった。


見返し 前後同一画

扉

奥付

表紙全体

【もうひとこと】本書は南陀楼綾繁さんから拝借した。ご存じのように南陀楼さんは、花森安治装釘本の蒐集で知られる著述家である。世田谷文学館での「花森安治と『暮しの手帖』展」のときも、南陀楼さんのコレクションが供せられ、来館者に眼福をあたえた。このたび拙宅を訪れてくださり、花森装釘本について、話し合うひとときをもてた。どんな宝物も、こっそり隠しもっていては価値がない。多くの人々がごらんになれる形にしたいという思いで一致した。

2011年7月4日月曜日

第二の性 女の歴史と運命 ボーヴォワール

1954


書 名 第二の性(第4巻) 女の歴史と運命   
著 者 シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908−1986) 
訳 者 生島遼一(1904−1991) 
発行人 佐藤義夫
発行日 昭和29年11月30日
発 行 新潮社
発行所 東京都新宿区矢来町71
印 刷 扶桑印刷株式会社
製 本 新宿加藤製本所
判 型 B6版 上製角背ミゾ平綴じ 本文292ページ
定 価 250円(地方売価260円)


本体表紙

扉

奥付


【ひとこと】カバーの絵が変わった。大きく描かれていた女性の子宮と魚が、こんどは小さくなって、象徴性が希薄になった印象は否めない。

いささか女性を愚弄した感じを与えることばに「女は子宮で考える」があるけれど、それを想起させ、女たちの反感でも買ったのだろうか。らちもない。小生はそのことばを賛辞とうけとめている。子宮こそ母性の源であり、母性は愛の極致ではないか。女に侮蔑的にそのことばを投げかけるバカな男がいれば、「くやしかったら、もっと現実的になれ」と言ってやればいいのだ。国会をみればわかるだろう。身勝手な男の理クツで考えても、現実は遠ざかるばかりなのだから。
——と、花森安治なら言うとおもうよ。

奥付の検印。福原麟太郎は『本棚の前の椅子』で、イニシャルを花押のように書いていたけれど、生島遼一はイニシャルの印鑑をつくったらしい。その気持はわかる。けれど印鑑の洋風は、なんとなくおかしい。


カバー全体


表紙全体


【もうひとこと】佐野繁次郎に似た描き文字ではあるけれど、花森安治の特徴がよく出ている。花森がかくと、この表紙のようにすっきりまとまってしまう。あるべき位置に、あるべき大きさで落ち着いてしまう。それに対して佐野は、つねに奔放であり、破天荒でさえある。どれも同じに見えるほど、その個性がきわだつ。なんどもいうが、つまりは編集者と芸術家の資質のちがいであり、ふたりの魅力のちがいなのである。

背表紙には原題だけをのせ、巻数を星印であらわしている。カバーをとって、本棚におさめると、ちょっと知的で、けっこうオシャレだ。


本体背表紙
*


2011年7月1日金曜日

第二の性 女はこうしてつくられる ボーヴォワール

1953


書 名 第二の性(第1巻) 女はこうしてつくられる   
著 者 シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908−1986) 
訳 者 生島遼一(1904−1991) 
発行人 佐藤義夫
発行日 昭和28年4月10日
発 行 新潮社
発行所 東京都新宿区矢来町71
印 刷 東日本印刷株式会社
製 本 京橋加藤製本所
判 型 B6版 上製角背ミゾ平綴じ 本文292ページ
定 価 250円(地方売価260円)


本体表紙

扉

奥付


【ひとこと】「人は女に生れない。女になるのだ」
——本書第一章幼年期の冒頭、このことばがボーヴォワールの存在を日本中に知らしめた。自立した女性(人間)として、サルトルと互いに啓発しあう関係は、男女の新しいあり方として、とくに日本の女性に、大きな影響をあたえた。女という存在を、男のことば(理クツ)で語る方法を、女が学んだと言っていいだろう。

ただしその同じころ、日本の若い男たちの多くは、口先では新しいようなことを言ってはいたけれど、唐獅子牡丹の高倉健と緋牡丹お龍の藤純子に、じつは心酔していた。あれから40年——。

NHK連続ドラマ『てっぱん』で、久しぶりにお龍さんをみた。富司純子の演技が、ドラマ全体をひきしめていた。とりわけ彼女の手の表情がいい。その両の手は、まぎれなく家事にいそしんでいた手だ。すがた動きが美しい。花森安治最後のエッセー「人間の手について」(1978年『暮しの手帖』第2世紀52号)を想いださせた。


表紙全体

カバー全体


【もうひとこと】訳者の生島遼一は大阪生れ。京都帝大を卒業し、旧制三高教授をへて京大教授になったフランス文学者。じつは旧制松江高校の出身で、花森安治の先輩にあたる。この『第二の性』は全五巻、それぞれ副題を「女はこうしてつくられる」「女はどう生きるか」「自由な女」「女の歴史と運命」「文學に現われた女」としている。

全五巻ともに花森安治の装釘であるが、カバーは前三巻と後二巻でちがう。さらに各巻は、カバーの上にさらにセロファンの透明カバーもかけられている。帯とおなじ役割をはたしているが、下掲のように文字が絵と重なり合って、成功しているとはいえない。セロファンの印刷は当時としては新技術で、どのようなものか、あがり具合を見たかったのかもしれない。


セロファンのカバー 「女はどう生きるか」「自由な女」各オモテ
セロファンのカバー 「女はどう生きるか」「自由な女」各ウラ

2011年6月29日水曜日

ミラボー橋 杉山平一

1952


書 名 ミラボー橋   
著 者 杉山平一(1914−) 
発行人 森川辰郎
発行日 昭和27年9月10日
発 行 審美社
発行所 浦和市木太451
印刷人 山村榮
判 型 B6版 上製丸背ミゾ平綴じ 本文246ページ
定 価 200円


扉

奥付

ウラ表紙

【ひとこと】本書には装釘者の名がしるされていない。したがってこれが花森安治の装釘であるとは、断定しがたい。しいてこじつければ、著者杉山平一と発行人の森川辰郎はともに、旧制松江高校で花森の後輩にあたる。すでに拙ブログでごらんにいれたように花森は、審美社が出した辻久一『夜の藝術』の装釘をてがけ、また森川の句文集『松江』(臼井書房刊)も装釘しており、旧知のあいだがらであった。

花森安治と「暮しの手帖」展 出品目録
さらにあげるなら、本書は世田谷文学館での『花森安治と「暮しの手帖」展』に展示され、その「出品目録」に収載されている。ただ、これが花森装釘であることを裏付ける力によわいのは、ひと目でわかる花森独特の描き文字がないことだ。

とはいえ、前回紹介した福原麟太郎『人間・世間』がそうであったように、この『ミラボー橋』にも切文字がつかわれており、類似点がなくもない。

【もうひとこと】杉山平一『詩と生きるかたち』(編集工房ノア2006年刊)がある。そこにインタビュー「花森安治を語る」がおさめてある。読んでみたけれど、この『ミラボー橋』について、杉山はひとことも触れていない。花森にゆかりのある品として、戦時中のハガキや写真をもちだしていながら、この装釘本のことは失念していたのだろうか。

もう一つ、表紙全体から花森らしい力強さが感じられないのが気になった。背表紙に小さく「杉山平一著」としているのも例がないし、本書を花森の装釘とするには、いくらか疑問がのこる。ご本人に尋ねるのがいちばん確実であろう。


【杉山平一本人の装釘であることが判明】
林哲夫さんのしらべにより、本書は著者の自装であることがわかりました。下記のブログをごらんください。



2011年6月27日月曜日

人間・世間 福原麟太郎

1969


書 名 人間・世間   
著 者 福原麟太郎(1894−1981) 
発行人 大橋鎭子
発行日 昭和44年11月5日
発 行 暮しの手帖社
発行所 東京都中央区銀座8−5−15
印刷人 北島織衛
印 刷 大日本印刷株式会社
判 型 B6版 上製丸背ミゾ平綴じ ビニカバ 函 本文300ページ
定 価 720円


ウラ表紙

表紙全体


【ひとこと】花森安治の装釘による福原麟太郎エッセー集の二冊め。色紙を切った文字で書名と著者名をあらわした。表紙と背文字それぞれ別につくっている。こどもの図画工作のように見えるが、文字の配置、構成、配色のどれをとっても、花森安治の感覚が躍如。マネできそうで、できない。小器用につくっても、かえって味がでないから、ふしぎだ。芹沢銈介とは文字の表情がちがう。

カギの絵は、創元社の世界推理小説全集にも描かれているように、花森はこのんでえがいた。福原は戦前、東京高等師範学校在学中、チェスタトンの探偵小説(ブラウン神父シリーズ)を翻訳し『英語青年』に発表したという。でも本書に探偵小説の話はなかった。ちょっと残念。


扉

本文見出し

奥付


【もうひとこと】本書に特徴的なことが二つある。ひとつは見出しである。花森安治のレイアウトでは、見出し部分はすくなくとも七行以上はとって、ゆったりしているけれど、ごらんのように本書では本文9ポにたいして見出しに26ポの活字をつかい余白がない。このレイアウトは、たとえば「流行」のように、全体に見出しの文字数がすくないことにもよっているのだろうが、冒頭の文字だけを飾り文字などで大きくあつかう洋書のやりかたにヒントを得たのではなかろうか。

もう一つは、花森が装釘ではなく「装本」の字句をつかっているところだ。花森なりの区別がありはしないかと架蔵本をしらべてみたが、はっきりしない。けれど気まぐれとも、おもえない。


函 本体表紙と同デザイン