花森忌によせて
1978年1月14日未明、花森安治は心筋梗塞を再発させ、自宅でなくなった。きょうは48回めの祥月命日。きょねん暮れ、1冊の岩波新書が届いた。送り主は編集部大先輩の河津一哉さん。電話をかけると、95歳になる先輩は「その本の成り立ちを藍生さん(花森さんの息女)から教えられ、それを伝えたかったから」とこたえ、あとがきをまず読むように勧めてくれた。
著者永井幸寿さんは1955年生まれ、災害復興に関わる法律を専門とする弁護士。中学1年生の時、母親が購読していた『暮しの手帖』96号「特集・戦争中の暮し」を読んで以来だいじに持ち続け、花森がのこした言葉を胸に刻みこみ、57年目にして本書を書き上げたのだった。テーマは副題に示されているように、法によって国民の「命と暮らしは守られるのか」——欧米と日本の法制度を比較しつつ、戦時や災害時に生きた人々の証言をまじえ、本当に守られてきたか、丹念にしらべ分析している。正確を期して、法の条文と法律用語がならぶ文章は、けっして読みやすくはなかったけれど、そこで引用された人々の証言によって、法は国民の命と暮しを守るためではなく、<国家>体制を維持することを金科玉条にかかげ、権力者たちの保身のためであることが、史実と証言をもって検証されていた。
戦後80年、世界が戦争へと傾斜してゆくとき、本書は小さな光明ではあるけれど、これからの日本が進むべき未来を照らしている。岩波新書2069(2025年6月20日発行 価1060円+税)
※
著者は、本書の第3章を「核がもたらすもの——原発事故・原爆投下の時」として、東日本大震災時における福島第一原発事故の顛末を詳細に検証している。事故は起こるべくして起きており、しかもその処理の仕方にも住民への配慮が全くなかったことを明らかにし、そのやり方を長崎原爆投下後の政府対応に照らしあわせ、非常事態に陥ったとき、国民には「情報を隠す」という権力の<本性>を論証してみせた。政府にとってつごうの悪いことは、いつの世もメディアを通じて情報を統制する。隠すのは国民を不安がらせない、という名分のもとに行われる。しかしそれが責任逃れのための時間稼ぎにすぎなかったことは、被災者の証言で明らかになる。原発の再稼働と新増設、さらには核持ち込みと核保有論の裏に、なにが隠されているか、推して知るべき時であろう。
いったん戦争が始まれば、一人ひとりの人権は法によって厳しく制約を受ける。日中事変に始まる15年戦争で、人々の言動の自由を奪ったのは、国家総動員法であり治安維持法であった。この悪名高き法を、スパイ防止法と緊急事態条項の名に変えて法制化しようとしているのが、安部政治の継承者である高市内閣である。参政党、維新の会、国民民主、それに連立離脱前の公明党がそれに同調している。皮肉な見方をすれば、その内閣を支持する国民は、みずからの手足に、みずから進んで、喜んで<枷>をはめようとするようなものだ。この手合いにかぎって、あとで「だまされた」「本当は反対だったけれど、言えるような空気じゃなかった」と言いわけする。ただし、次の核戦争後に、人類が生き残っていればの話である。大恐慌の後には世界大戦が待ち受けている。日本列島を未曾有の大震災が待ち受けている。法は国民を守ってくれない。若い人にその覚悟はあるだろうか。
※
花森安治は生前、『暮しの手帖』は波打ち際に立つ1本の杭だ、と言っていました。その杭は、いまは誰の眼にも見える。しかし波にのみ込まれて、見えなくなる日がいつかやって来る。それでも絶対に動くな、しっかり立ち続けろ、と言っていました。本書の著者永井幸寿さんは、花森が『特集・戦争中の暮しの記録』で書いたコラム<この日の後に生まれてくる人に>から、次の一節を引いています。——いま、これを読んでいる君がいつの時代にいて、どこで読んでいるのかはわからない。しかし、誰がなんといおうとこれが戦争である。たとえボロボロになっても、この本を伝えて欲しい。これが戦争を生きぬいてきた者の一人としての切なる願いである——この花森の言葉が中学1年生の永井さんの胸を打ち、本書執筆の原動力になったことを記しています。花森を回向し、なによりの供養になったのではないか、と小生は思いました。本書をお読みいただき、また「戦争中の暮しの記録」もよんでくだされば、うれしくおもいます。
<註>上記は今月14日、小生がフェイスブックに投稿した拙文です。ブログの更新をせずにいましたが、いまなおページを開いてごらんくださる方がいらっしゃいますから、転記投稿しました。